W.M.ヴォーリズが愛した教会
近江八幡教会
日本キリスト教団
2024. 4. 28 復活節第5主日礼拝
< 今 週 の 聖 句 >
それよりも、近いうちにお目にかかって親しく話し合いたいものです。あなたに平和があるように。友人たちがよろしくと言っています。そちらの友人一人一人に、よろしくと伝えてください。
(ヨハネの手紙第三14~15節)
「あなたに平和があるように」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
それよりも、近いうちにお目にかかって親しく話し合いたいものです。あなたに平和があるように。友人たちがよろしくと言っています。そちらの友人一人一人に、よろしくと伝えてください。
(ヨハネの手紙第三14~15節)
「あなたに平和があるように」 深見 祥弘
私たちは、本日礼拝後に教会総会を開催いたします。この総会では、2023年度の恵みを共に数え、2024年度の希望を語り合います。
私たちの教会は、2020年度より4年間、年間標語を「安らぎの教会」としてきました。2020年度は「安らぎの教会―主の群れとして」、2021年度は「安らぎの教会―つながり合って」、2022年度は「安らぎの教会―主を喜び祝う」、そして2023年度は「安らぎの教会―たゆまず祈る」でありました。コロナ禍にあったこの4年間、私たちは言い知れぬ不安や恐れのなかに置かれました。集まることが感染のリスクを高くすることから、教会の礼拝だけでなく、社会の様々な場面で自制を強いられました。同時に教会に集まり礼拝を献げることが、わたしたちの安らぎとなり励ましとなることをも改めて発見いたしました。この4年間、私たちは、感染に注意をしながら、主を喜び祝う礼拝により、安らぎと力と愛をいただき、互いに祈り合い仕えあうことに導かれることを願いつつ、歩みを進めてきました。
今朝のみ言葉は、ヨハネの手紙第三1節~15節です。紀元一世紀末から
二世紀初めの頃、長老ヨハネは、設立されて間もない幾つかの教会の指導をしていました。この手紙は、ヨハネがその中のある教会に属するガイオという人物に手紙を書き、これをデメトリオという人に届けさせたものです。
ガイオは、自分の属する教会によそから来る伝道者たちを喜んで受け入れ、その言葉に耳を傾け、こころをこめて接待をし、送り出すことをしていました。彼は、こうした伝道者たちを、神が遣わしてくださった人々と受け止めていました。設立して間もない教会が、こうした伝道者たちから学ぶことで、教会もそこに連なる自分たちも成長することができると考えていたからです。そしてガイオの愛の奉仕は、伝道者たちにより、長老ヨハネに知られることとなりました。この手紙は、ガイオへのねぎらいと、これからの働きの励ましのために書かれたのでした。
また長老ヨハネは、伝道者たちによってもたらされた報告から、ガイオたちに注意をうながすためにこれを書きました。その報告とは、ガイオと同じ教会に属するディオトレフェスが、教会の指導者になりたがっていることについてでした。ディオトレフェスは、教会に集まる人々が、彼の言葉にのみ耳を傾けることを望んでいました。そのことで彼は、長老ヨハネたちを悪意に満ちた言葉でそしり、よそから来る伝道者たちを受け入れず、ガイオのように受け入れようとする人の邪魔をし、そうした兄姉を教会から追い出していたのです。
そのような中、長老ヨハネは、ガイオが救いの業(真理)によって歩んでいることをとても喜んでいます。イエス・キリストは、愛をもって奉仕するガイオのような者だけでなく、ディオトレフェスのように自らの思いに生きようとする者(罪人)をも受け入れ、その罪を贖い赦し新たにして生かすために、十字架に架かり復活されました。人は十字架の贖いによってイエスに愛されていることを知るとき、他の人もまた、イエスによって愛され生かされていることを知ります。伝道者たちは、このイエス・キリストの愛と新しい命を伝えるために、旅に出た人々であると、長老ヨハネは、伝えています。またこの伝道者たちを助けることで、あなたたちもイエス・キリストによる救い(真理)のために働く者になると書いています。この手紙を持っていくデメトリオも、真理について証しをするものであるので、彼の言葉にも耳を傾けてほしいと伝えます。最後に長老ヨハネは、手紙ではなく、直接会って礼拝し話しをすることが、あなたたちの慰めや安らぎ、そして力と励ましになると知っているので、近いうちに訪問したいと伝え、それまでの間「あなたに平和があるように」と祝福を祈っています。
聖書は、「平和」をどのようなものとしているかについてお話いたします。
辞書で「平和」を引いてみると「㊀心配・もめごとが無く、なごやかな状態。㊁戦争や災害など無く、不安を感じないで生活出来る状態。」(新明解国語辞典)とあります。
旧約聖書は、「平和」をヘブライ語のシャロームという言葉で表現しています。このシャロームは、充足の状態をあらわし、人間の生のあらゆる領域において真に望ましい状態を意味します。そしてこの平和は、神から与えられるもので、神と人とが正しい関係で、人が神の意志に基づき正義(神を愛し、人を愛する)を行うことで保持することができるとしています。
しかし旧約聖書は、平和のない現実を克明に記し、預言者たちが真の平和について述べています。彼らは見せかけの平和(偶像に寄り頼んだり、力の支配により平和を実現しようとする)に対し神の裁きを語り、真の平和は、メシアの到来によってこそ実現すると預言したのです。
新約聖書は、「平和」をギリシャ語のエイレネーという言葉で表現しています。旧約聖書の「平和」の意味を継承し、預言のメシヤとは、イエスであると教えるのです。真の「平和」は、イエス・キリストの十字架により、神と人との敵対関係、人と人との支配と隷属関係が、取り除かれたとき実現するのです。イエスが働きをされた頃は、「パックス・ロマーナ」(ローマの平和)と呼ばれた時代です。それは、ローマ帝国の強大な軍事力により抵抗できない状態で生じた「平和」であり、ユダヤ人をはじめ被支配国の人々は苦しんでいたのです。イエスは、かつてみせかけの平和と戦った預言者たちの働きを引継ぎ、神の意志に基づいた真の平和の実現のために自らを献げられたのでした。
2024年度の年間聖句は、今朝のみ言葉である「あなたに平和があるように。」(ヨハネの手紙第三15節)です。この聖句の「あなた」とは、①わたしのこと、②家族や友人のこと、③教会の兄姉のこと、④この町・この国の人のこと、⑤世界の人のことです。また「平和」とは、①神がイエス・キリストによって私をどれほど愛しておられるかを知り、悔い改めに導かれ、救いの喜びに充たされること、そして②神がイエス・キリストによって隣人をどれほど愛しておられるかを知り、共に生きる道を求めつつ祈り仕えることです。2024年度の年間標語は、「安らぎの教会―主の平和を求め、共に祈ろう」です。この4年間「安らぎの教会」は「Church of Peacefulness」と言う意味合いで用いていましたが、さらにその意味を深めて「Church of Peace」と言い換えたいと思います。「安らぎの教会」は、神がイエス・キリストによって私をどれほど愛してくださっているかを知ることであり、さらに神がイエス・キリストによって隣人をどれほど愛しているかを知り、共に生きる道を祈り求める教会のことです。そして共に、神がイエス・キリストによって与えてくださる平和・安らぎで充たされることです。この4年間は、コロナ禍にあり、自分のことや家族や友人のこと、そして教会のことに心を向けることが多かったように思います。しかし、この社会や世界には、戦争や災害、地球環境や人権など多くの課題があります。こうしたことも覚えつつ、私たちの教会は、「安らぎの教会―主の平和を求め、共に祈る」教会でありたいものです。
2024. 4. 21 復活節第4主日礼拝
< 今 週 の 聖 句 >
ペトロがなおも幻について考えていると"霊"がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」 (使徒言行録10章19~20節)
「伝える前に・・・」 仁村 真司教師
< 今 週 の 聖 句 >
ペトロがなおも幻について考えていると"霊"がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」 (使徒言行録10章19~20節)
「伝える前に・・・」 仁村 真司
各地に出来ていた教会・信者の集まりを視察して認可するために方々を巡り歩きリダにいたぺトロは思いがけずヤッファを訪れることとなり、革なめし職人シモンという人の家に滞在していました(9章32〜43節)。
そのペトロを三人の人が訪ねて来て百人隊長コルネリウスが「あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです」と伝えます。コルネリウスという人は割礼を受けていない異邦人ですが、信仰心のあつい神を畏れる人でした。ペトロはまたもや思いがけず、今度はヤッファからコルネリウスのいるカイサリアに赴くことになります。
コルネリウス訪問についてぺトロは後にこのように語っています(使徒言行録15章7~9節)。
「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。人の心をお見通しになる神は、わたしたちたちにあたえてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした。」
1)
使徒言行録の物語の中で最も長い「コルネリウス物語」(10章1節~11章18節)は、ペトロがはじめて異邦人に受洗を命じ信者としたことによってキリスト教が(異邦人)世界への伝道に踏み出したこと、またペトロが異邦人伝道の第一人者であることを示している等、「異邦人伝道」にまつわる物語として受け止められ、そのように語られることが多いと思います。
確かにペトロは異邦人であるコルネリウスの家に赴き、イエス・キリストを伝えている、伝道をしています(34節〜)。ですが、ペトロにとってははじめてであっても例えばフィリポは(既に)エチオピア人(異邦人)の宦官に福音を告げ知らせ洗礼を授けています(7章26節~)。
また、このようなフィリポや名前も何も伝わっていない人たちの働き、そして後のパウロの働き等もあるのですから、何もわざわざぺトロを「異邦人伝道の第一人者」とすることもないのではないかと思います。
それに、この長い物語がその大部分を費やして伝えているのはペトロがコルネリウスを訪れるに至る経緯です(10章1~33節、また11章5~14節は10章10~21節、30~33節をコピーしたかのように殆ど同じ文章です)。
こういったことから、今回はこの物語を「(はじめての)異邦人伝道」、キリスト教が「世界宗教」に進み出すその第一歩の物語としてではなく、別の観点から見て行くことにします。
2)
・・・彼(ペトロ)は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。(10~16節)
ペトロはこれを「⋯神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないとお示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです」(28・29節)とコルネリウスからの招待に結び付けて、それに応じることへの導きと受け止めています。そういう面もあるかとは思いますが、私はこの時ペトロが置かれていた状況により深く結び付いているのではないかと考えています。
ペトロがこの幻、夢(おなかを空かせてウトウトしていた時の夢だと私は思います)を見た(「体験した」の方が相応しいと思いますが)のはヤッファの革なめし職人シモンという人の家でのことです。革なめしは「汚れた物」に触れる仕事ということで汚れた職業とされていました。ペトロにしてみればシモンの家に滞在することになったのはヤッファを訪れること以上に思いがけないことだったのではないかと思います。
「ペトロは方々を巡り歩き、リダにいる聖なる者(信者)たちのところへも下って行った」(9章32節)。信者、言うならば「清められた」人々の所(教会)に赴き、伝道するのではなく使徒として「お墨付き」を与える、「清い物」と(だけ)関わる、ペトロはそういう腹づもりだった。それなのに今自分は思いがけず「汚れた物」の所にいる。ペトロとしてはこの状況がどうしても飲み込めない。14節「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」
ペトロはコルネリウスを訪れた際に「ユダヤ人が外国人と交際したり、訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども⋯」と言っていますが(28節)、実際には当時のユダヤ教会堂には割礼を受けていなくても「神を怖れる者」として異邦人も出入りしていて、そういう仕方でユダヤ教は異邦人を受け入れていました。
こういったことも考え合わせると、幻(夢)によって明らかにされているのはペトロの過剰な「汚れた物」・「異邦人」忌避の心情、偏見です。
このペトロの異邦人に対する偏見(かたより見ること)・忌避の過剰さは、ペトロが同じユダヤ人でありながらも異邦人に近いものとして蔑まれていたガリラヤの人であり、かえって過剰にユダヤ人(ユダヤ教徒)的であろうとしたことに拠る、そういう所もあったのかもしれませんが、ペトロ自身がまず取り組むべき課題が示されているとも言えます。
そして、コルネリウスから招かれ、赴き、関わり、そこでイエス・キリストを伝える、これらの全てがぺトロが自らの偏見・差別意識(そしてもしかしたら自分がガリラヤの人であることにまつわる複雑な思い)に向かい合い、取り組んで行くことへの導きなのだと思います。
そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらない(かたよりみない方である)ことが、よく分かりました。」(34節)
3)
イエス・キリストを伝えること、伝道は教会の使命であり、なすべき働きの中心ですが、だからと言って「伝道」の名の下に行われることがいつも、何をしても正しいということにはなりません。
特に「〇〇伝道」と銘打って組織的になされる場合には「既に教会に連なっている者が未だ教会に連なっていない者たちに伝える」という一方的なものになりがちだという気が私はしています。そして一方的な「伝道」は往々にして独善的な、伝える側が「上」で伝えられる側が「下」という偏見に囚われた差別的な教化主義・矯正主義に陥って行きます。
しかし、今日見て来た物語では、これを「異邦人伝道」の物語として捉えたとしても、そこでなされていることは決して一方的ではありません。
ペトロは伝え導く側でもあり、伝えられ導かれる側でもあった。ペトロはイエス・キリストを伝える前に自らの課題を示され、伝えて行く中でその課題に取り組んで行くこととなった、そのように導かれました。
今教会に連なっている私たちも同じだと思います。イエス・キリストを伝える前に、伝えるに際して、一人一人、それぞれが自分自身を見つめ取り組むべき課題が示されている。そのように導かれているということです。
2024. 4. 14 復活節第3主日礼拝
< 今 週 の 聖 句 >
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。 (ヨハネによる福音書21章12節)
「来て、朝の食事をしなさい」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。
(ヨハネによる福音書21章12節)
「来て、朝の食事をしなさい」 深見 祥弘
イスラエル軍のガザ地区侵攻から7日で半年となりました。報道されているように、ガザ地区内での死者は3万3千人を越えました。その7割が子どもや女性です。ガザの人口は548万人ですが、国連はこれから7月にかけて110万人が飢餓に陥る可能性を指摘しています。4月1日、これまで食料を提供してきた米国の支援団体のスタッフ7人がイスラエル軍の無人機の攻撃を受けて亡くなり、食料を積んだキプロスからの運搬船が引き返すということにもなりました。毎日新聞「余禄」(4/9)は、こうした状況から旧約聖書「哀歌」の言葉「乳飲み子の舌は渇いて上顎に付き 幼子はパンを求めるが、分け与える者もいない。」(4:4)を引用しています。「哀歌」は、かつてエルサレムがバビロニア軍に包囲、征服されたときの惨状を書いています。「余禄」の記者は、「『哀歌』は飢餓の極限状態を描く。そんな古代の悲劇を現在に再現させてはならない。ハマスには人質解放の責任があるのは当然だが、イスラエルの人々もガザの現状を直視することを願う。人道危機を防ぐことは国際社会共同の責務である。」と書いています。
今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書21章1節~14節です。ここには、
復活のイエスが、ティベリアス湖で漁をする7人の弟子たちに現れた時のことが書かれています。またこの21章は、ヨハネ福音書の付録です。20章
30~31節の小見出しに「本書の目的」とありますが、ここで福音書は終わっています。付録である21章には、エルサレムで伝道する者たちとガリラヤで伝道する者たちとに分れたイエスの弟子たちが、世界に向けて伝道をなしてゆくこと、そして、そのリーダーはペトロと愛弟子ヨハネであることを記しています。
エルサレムの家で復活の主にお会いし、聖霊を受けた弟子たちは、宣教を始めました。ガリラヤに来たのは7人の弟子たち(ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たちヤコブとヨハネ、他に二人)でした。ペトロが「わたしは漁に行く(伝道に行く)」というと、他の六人も「わたしたちも一緒に行こう」と言いました。ペトロたちは舟に乗り込み、ティベリアス湖で夜、漁をしましたが、何もとれませんでした。ここに「ティベリアス湖」とあるのは、ガリラヤ湖のことで、第二代ローマ皇帝ティベリウスの名に由来します。ヨハネ福音書が書かれた紀元90年代、ローマ皇帝はドミティアヌスであり、キリスト教迫害の激しい闇の時代でした。夜の湖に漕ぎ出したが不漁であったペトロたちの姿は、90年代の教会の苦悩を書いています。
夜が明け、ペトロたちは失意の中、戻ってきました。彼らが岸まで二百ペキス(90m)のところに来た時、「子たちよ、何か食べる物があるか」と岸からイエスが呼びかけました。しかし、弟子たちにはそれがイエスだとはわかりませんでした。弟子たちが「ありません」と答えると、その人が「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」と言ったので、網を打ちました。弟子たちは、夜通し働いて疲れていたのですが、その人の言葉通りにしてみようと思ったのは、ペトロたちが弟子とされた時のことを思い出したからでした。
あの日も不漁で、ペトロたちは湖の岸に舟を上げて網を洗っていました。そこにイエスが来られ、ペトロに舟を少し漕ぎ出すようにお頼みになりました。岸に集まっていた大勢の人々に、漕ぎ出した舟の上から教えをするためです。ペトロは疲れていたのですが、再び舟を出しました。教えが終わると、イエスが「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と言われました。ペトロが「先生、わたしたちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」と言って網を降ろしたところ、おびただしい数の魚がかかり、網が破れそうになりました。
ペトロがあの時のことを思い出し、網を打つと、あの時と同じように、大漁になり、網を上げることが出来ませんでした。愛弟子ヨハネが「主だ」というと、ペトロは裸同然であったのですが、上着をまとって湖に飛び込みました。他の弟子たちは、網を舟に上げることもできず、そのまま網を引いて岸まで戻ってきました。ペトロは、時にはその思いが先走ることもありますが、行動におい弟子たちのリーダーシップをとっています。他方ヨハネは、イエスを知ることに優れていて、この時も、岸に立つ方が復活の主であることを知り、仲間たちに告げたのです。
ペトロたちは、十字架に死に復活された主はここにはおられないので、自分たちで伝道しなければならないと思っていたのです。ところが復活の主は、エルサレムから遠く離れたガリラヤにも来て下さいました。このことは、時代を越え、90年代の教会の人々とも主が共にいてくださり、その宣教を導き支えてくださっていることを告げているのです。
弟子たちが陸に上がると、炭火がおこしてあり、その上に魚とパンがのせてありました。イエスが「今とった魚を何匹か持ってきなさい」と言われました。ずぶ濡れのペトロも岸にたどり着き、舟に行って仲間たちと網を引き上げると百五十三匹もの大きな魚でいっぱいでした。ペトロはその中から何匹かを取ると、その魚も炭火の上にのせました。イエスは、そのパンと魚をとって祝福し、弟子たちに与えられました。もはや誰も「あなたはどなたですか」と問う弟子はおりませんでした。
はじめにのせてあった炭火の上のパンと魚とはイエス・キリストを、炭火とは、十字架と迫害をあらわしています。またペトロが差し出した何匹かの魚は、ヨハネ福音書時代のキリスト者、特に迫害をうけ殉教した人々のことをあらわしています。そして「百五十三匹の魚」とは、当時のギリシャ人が魚の総種類を百五十三種としていたことによります。復活の主は、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言い、すべての人々を招いて、食事を備えてくださるのです。
エルサレムを覆っていた闇が、主イエスの復活によって朝を迎えました。ガリラヤの闇もまた、復活の主イエスによって夜明けを迎えました。ヨハネ福音書は、皇帝ドミティアヌスによる迫害の闇の中にも、復活の主イエスが来てくださり、朝を迎え、多くの信じる人々と共に主の食卓を守っていると書いています。エルサレムの教会(舟)と弟子やパウロたちの伝道によってつくられた教会(舟)に人々が乗り込み「イエスは復活された」と各地に伝道をし、大漁の網を引いて主の元に帰り、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と呼びかけていただき、復活の主と共に食卓を囲むのです。
この世界もまた、闇の中にあります。この世界を覆っている闇が、主イエスの復活によって朝を迎えます。「墓を塞ぐ大きな石」にたとえることのできる私たちの恐れや不安は、復活の主によって取り除かれ、働きを終えた私たちを、朝の食卓へと招いてくださいます。炭火の上には、主イエスをあらわすパンと魚が、さらにいにしえの殉教者や伝道者、信徒たちの信仰がのせられています。わたしたちは、ガザにあって飢餓に苦しむ子どもたちや人々に、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と主が呼びかけられる日の来ることを信じます。今この時、炭火の上に自らの信仰をも献げ、十字架と復活の主に祈り、ガザの人々と共に食卓を囲む日が来ることを心から願っています。
2024. 4. 7 復活節第2主日礼拝
< 今 週 の 聖 句 >
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 (ヨハネ福音書20章27節)
「信じる者になりなさい」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 (ヨハネ福音書20章27節)
「信じる者になりなさい」 深見 祥弘
ドイツの教会では、イースター礼拝の次の日曜日に「堅信礼」(幼児洗礼を受けた人が信仰告白をする)を行います。これはトマスが、主の復活から8日目に、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白したことに由来します。
今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書20章19~31節、復活のイエスが家にいた弟子たちにあらわれ、またその時いなかったトマスにあらわれたことが書かれています。「トマス」とは、どんな人なのでしょうか。24節には、「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマス」とあります。イエスの十二弟子の一人であり、「ディディモ」(双子)、すなわち双子のうちの一人でした。彼は、マタイ、マルコ、ルカ福音書の中では目立たず、イエスの弟子のリストに名前があげられているだけの人であります。ところがヨハネ福音書では、彼は11章と14章、そして20章に登場してきます。
11章でトマスの名が出てくるのは、マルタ、マリアの兄弟ラザロの死と復活の場面です。イエスと一行がヨルダン川の向こう側に滞在していたところ、ベタニアに住むマルタ、マリアの使いの者が来て、病気のラザロを助けてほしいと願いました。イエスたちがそこに滞在していたのは、エルサレム神殿の境内で、石で打ち殺されそうになり逃れて来たからでした。ベタニアはエルサレムの近くの村です。出発にあたりトマスは、再び迫害に合うことを覚悟し、仲間の弟子たちに「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」(11:16)と言いました。
14章でトマスの名が出て来るのは、最後の晩餐の場面です。イスカリオテのユダとペトロの裏切りを予告したイエスは、弟子たちに「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」(裁判を受け、十字架に架けられ、復活し、父なる神の元に行く)と話ました。トマスは、「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」(14:5)と訊ねました。
こうしたことからトマスという人は、死が人の終わりであると考え、死後の世界には懐疑的でありました。彼は、≪死がすべての終わりである。それゆえに自分の納得できる生き方と死に方をして、自分の生涯を意味あるものにしなければならない。イエスに従い、石で打たれて死のう、それができれば本望である。≫と考えたのです。しかしトマスは、イエスが逮捕され十字架に架けられた時、他の弟子たちと同様に、イエスの元から逃げ出してしまいました。「わたしたちも行って一緒に死のうではないか」と言っていたトマスの挫折感は大きく、復活の主が弟子たちの集まっていた家にあらわれた時も、仲間たちのところに戻れずにいたのです。
トマスが仲間の弟子たちのところに戻ったのは、イエスが復活し、弟子たちのいた家に来られた後のことでした。仲間たちが「わたしたちは主を見た」(25)と言うと、トマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(25)と答えました。これは、見て触ってみなければ信じないという実証主義的な考え方ではなく、死がすべての終わりというトマスの人生観と、イエスを裏切ったという思いからくる言葉でありました。この後讃美歌197番を歌いますが、その3番はトマスのことを歌っています。「ああ主のひとみ、まなざしよ、うたがいまどう トマスにも、み傷しめして『信ぜよ』と、招くはたれぞ 主ならずや」
復活の主が、はじめてこの家を訪れた時、何があったのでしょうか。
≪死は人の終わり≫、このように思っていたのはトマスだけではありませんでした。他の弟子たちも同じ思いを持ち、こころを閉ざしていたのです。そこに復活の主が来てくださり、その傷を見せて彼らに十字架の主と復活の主がつながっていることを確認させました。復活の主は、弟子たちに死が終わりでないことを明らかにし、主と共にある平和と喜びを体験させたのです。さらに復活の主は、弟子たちに息を吹きかけて聖霊を与え、主の復活を宣べ伝える使命と、人々の罪を赦す力を与えられたのでした。
トマスは、その時、家にいませんでした。家に戻った彼は、仲間たちが「わたしたちは主を見ました」というのを聞くと、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(25)と言いました。しかし仲間の弟子たちは、トマスを批難しませんでした。26節「さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあった。」この時弟子たちは、聖霊を受け、力と平安を得ておりました。もはや恐れを感じて、家に閉じこもる必要はなかったのです。でも彼らは、トマスの思いに寄り添おうとしました。そこに再び、復活の主が来てくださったのです。トマスは、イエスと一緒に死んで、意味ある生涯を終えようと願いつつ従い切れませんでした。彼は身の置き場を求めて放浪し、今また閉じこもっています。復活の主は、そんなトマスのところに来てくださり「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(27)と呼びかけてくださいました。
トマスが聞いたのは、復活の主の言葉であると共に、十字架に架けられたイエスの言葉でした。トマスにおいても、十字架のイエスと復活の主がつながったのです。死は終わりではない、死は新しい命とつながっている。これをつなぐのは主イエスであり、主に対する信仰だと気づかされたのでした。こうして一週間遅れではありましたが、トマスは「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白いたしました。さらに復活の主は、トマスに「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(29) と言われました。この復活の主の言葉と、聖霊と、弟子たちの寄り添う奉仕、これによって多くの人々は、見ないのに信じる者になり、幸いを得ることになるのです。聖書外典に「トマス行伝」という書があります。この書にはトマスが、インドに出かけていき、教会を建てたと書かれています。
時を経て私たちは、主の復活を記念する日曜日に、神の家(教会)に集まり、復活の主の言葉をいただきます。「あなたがたに平和があるように」(19)、「信じる者になりなさい」(27)、「聖霊を受けなさい」(22)、「わたしもあなたがたを遣わす」(21)と。ここには、先週のイースター礼拝にいなかった人もいます。そこにいた人といなかった人が共に復活の主の来訪を受け、み言葉をいただき、息を吹きかけていただき、「わたしの神、わたしの主よ」(28)と信仰を告白し、「わたしたちは主を見ました」(25)という福音をたずさえて、出かけてゆくのです。コリントの信徒への手紙第一12章3節に、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言えないのです」と書かれています。み言葉と、聖霊と、そして互いの奉仕によって、私たちは主を見たことがなくても復活の主を信じ、愛し、喜ぶ者に変えられていくのです。わたしたちが、見ないのに信じる者になること、信じて命を受け、喜ぶ人になることは、復活の主の願いであります。