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≪次月 8月(2024)礼拝説教要旨 前月≫

2024. 8.25 聖霊降臨節第15 主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」

(マタイによる福音書5章3節)

 

「 幸 い 」         仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」

(マタイによる福音書5章3節)

 

「 幸 い 」         仁村 真司

今回はマタイ福音書が山上の説教冒頭のイエスの言葉として伝えている八つの幸いの教えからいろいろと考えて行きます。

一つ目の「心の貧しい人々は、幸いである」、文語訳では「幸福なるかな、心の貧しき者」、やはりこれが最もよく知られていると思いますが、もう一つ、別の意味でと言いますか、よく知られているのは七つ目、9節の「平和を実現する人々は、幸いである」(口語訳「平和をつくり出す人たちは、幸いである)です。8月には特によく目にし、耳にする言葉です。

平和を享受(エンジョイ)する人ではなく、平和を実現(つくり出す)人が幸いなのだと聖書に記されている、イエス・キリストは語っている・・・。

二十代に愛誦聖句を尋ねられれば、私は迷わず、「平和をつくり出す人たちは、幸いである」と答えていただろうと思います。では三十代以降、そして今はどうなのかと言うと⋯ちょっと分からなくなっています。

1 )

今日の箇所の並行記事がルカ福音書にあります。(6章20〜21節)

「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。

今飢えている人々は、幸いである。/あなたがたは満たされる。

今泣いている人々は、幸いである。/あなたがたは笑うようになる。」

こちらは八つではなく三つです。ルカが八つ伝わっていたものの内の五つを削除したとは考えられないので、ルカにはなくてマタイにはある五つは後に付け加えられたもの、(残念ながら「平和を実現する人々は、幸いである」も)元々イエスが語ったのではないということになります。

またその他の点からしても、ルカが伝える三つの幸いの教えの方が元々の

イエスの言葉に(マタイと比較してかなり)近いと考えていいでしょう。

それと、マタイでもルカでもギリシア語原文には「幸いである」の「である」(動詞)はありません。こういったことも考え合わせると・・・

幸い、貧しい者。神の国はその人のものになる。

幸い、飢える者。その人は満ち足りるようになる。

幸い、泣く者。その人は笑うようになる。

・・・マタイとルカ、それぞれが福音書に記す以前にイエスの言葉として伝ええられていたのはおおよそこんな感じだったのではと推定されます。

2)

幸い、心の貧しい人々。天の国はその人たちのものである。 (3節)

幸い、義に飢え渇く人々。その人たちは満たされる。   (6節)

幸い、悲しむ人々。その人たちは慰められる。       (4節)

イエスが人々に語ったであろう三項目をマタイはこのように受け止め伝

えている訳ですが、まず「心の貧しい人々」・・・。

この「心」は通常は「霊」と訳される「プネウマ」という語です。なので「霊において貧しい人々」、そして「霊において貧しい人々」というのは「ただ神により頼む人々」(共同訳)を意味する言い回しです。

次に「義に飢え渇く人々」・・・。「義」というのはユダヤ教の律法的発想の中心概念です。簡単に言えば宗教的(律法に従う)生き方ということで、この6節以下はその具体的内容とも考えられます。7節「憐れみ深い」、8節「心の清い」、9節「平和を実現する」、「義のために迫害される」。

「義に飢え渇く人々」がこのような生き方によって(義に)満たされるということならば、実践は容易ではありませんが、それはそうなのだろうと(理屈の上では)理解できます。そしてまた「心の貧しい人々は幸い」、即ち「ただ神により頼む人々は幸い」は至極もっともな教えだと思います。

ですからマタイが伝える八つの幸いの教えがおかしい等と言うつもりはないです。が、イエスが語ったのはそういうことだったのでしょうか。

人々と共にこの世の低さ・貧しさを生き、人々に語りかけたイエスが言う「貧しい者」・「飢える者」が、「心の貧しい(ただ神により頼む)人々」・「義に飢え渇く人々」という人間の精神的、宗教的な有り様を示す“たとえ”であったとは考えられません。また、貧しさ・飢えを経験したことがある(でも今はそうではない)人たちということでもないはずです。

マタイが伝える八つの幸いの教えとイエスが「貧しい者・飢える者・泣く者」を「幸い」と言ったこととの間にはかなりの距離があるように思われるのですが、ではルカが伝える三つの幸いの教えはどうでしょうか。

ルカは「飢える人々」と「泣く人々」に「今飢えている人々」・「今泣いていている人々」と「今」を補っています。

今現在は幸いではなくとも未来には(神の国では?)幸いになる、イエスが「幸い」と言ったことを、そのように受け止めていると考えられます。

これはこれで一つの見解として筋は通っています。ただ「いつか幸いになるから、今は幸いではなくても幸いだ」、イエスが言った「幸い」がこんな回りくどいことだとは私には思えません。このようなルカの受け止め方とイエスの言ったこととの間にも距離、隔たりはあると思います。

3)

マタイもルカもそれぞれイエスの言葉をどんな場合でも、どんな人にとっても正しい、「普遍的真理」として受け止め伝えようとしたと言えます。

マタイは「貧しい者」を普遍的にだれもが「幸い」と言い得る「心の貧しい人々(ただ神により頼む人々)」とすることによって、ルカは「幸い」を「未来には(いずれ、いつかは)幸いになる」と解することによって、・・・ということなのですが、そこにイエスとの距離、隔たりが生じます。

イエスが「幸い」と言った「貧しい者・飢える者・泣く者」は別々の人たちではありません。貧しさ・飢え・泣くことは結び付いています。

持っているわずかなものまで奪われ、飢えて、どうすることもできず泣くしかない、「右の頬を打たれたら左の頬をも向ける」方が反抗したり、逃げたりするよりはまだマシ、被害が少ない・・・そのような虐げられている人たち、どうしたって幸いではない、「幸い」と切り離された人たちです。

「幸い、貧しい者。」イエスはしかしこの人たちが「幸い」と言った。

そして「神の国はその人のものになる。」貧しく、飢え、虐げられ律法に従っては到底生きて行けない。故に神の国に決して入れないとされていた人たちですが、イエスは「神の国に入れる」を通り越して「神の国はその人のものになる」と言った。これは突拍子も無い発言です。

神の国とは「神の支配・神が支配するところ」ですから、「人は入れていただく」しかないのであって、「神の国がその人のものになる」というのは、考えてみたらと言うか、いくら考えてみても訳の分からない話です。

この訳の分からなさを、マタイをルカもほぼそのまま伝えているのは、ここに消すことが出来ないイエスの「痕跡」、現実を生きたイエスの姿があるからではないか・・・。

幸い、貧しい者。神の国はその人のものになる。

イエスはここで「普遍的な真理」・「正しい教え」を語っているのではないと私は考えています。「幸い」が「幸いになるべき」なのか「幸いになってほしい」なのか、励ましなのか、慰めなのか、祝福なのかは分かりません。全部引っくるめてなのかもしれませんし、どれでもないかもしれません。ただ最も幸いから遠い、切り離されていた人たちを「幸い」と言い、神の国は神の国から最も遠いとされ、切り離されていた人たちのものだと言ったイエス、そういうイエスと一緒に生きようとした、イエスのように生きたいと願った人たちがいた。その人たちによってこの言葉が伝えられて来た。正統な信仰告白も、神学も、教義も、教理もなくても、こういう所からもクリスチャンははじまっていたのだと思います。

2024. 8.18 聖霊降臨節第14 主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」  

                                    (ヨハネによる福音書8章11節)

 

     「指で何かを書くイエス」  深見 祥弘教師

< 今 週 の 聖 句 >

イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」    (ヨハネによる福音書8章11節)

 

           「指で何かを書くイエス」     深見 祥弘

 わたしたち日本基督教団は、57年前の1967年3月26日イースターに、教団議長鈴木正久の名で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦争責任告白)を公表しました。

これを公表するまでのことを、お話いたします。1966年、日本基督教団夏期教師講習会の席で、出席者から教団の戦争責任を明らかにすべきであるとの意見が出されました。これを受けて、教団議長鈴木正久ら4人が起草委員となり、同年開催の教団総会に戦争責任に関する建議案を提出し、議論の後、教団常議委員会に取り扱いを委任いたしました。

 1967年2月教団常議委員会は、起草委員による「告白」原案をめぐって議論をし、3月26日イースターに教団議長鈴木正久名でこれを公表することにいたしました。しかしこの「告白」に反対を表明する人々もいました。この人々が提出した「要望書」には、戦時下の厳しい状況を、平和な時代の人々が一方的に非難することは不当であること、「告白」の議決は常議員会の満場一致ではなく、多数決で決せられ手続き上問題があることなどが書かれていました。これに対し常議委員会は「5人委員会」を設けて、反対意見の人々と対話を続けました。「戦争責任告白」は、アジアの諸教会から積極的な評価を得ることができ、鈴木議長は同年9月、韓国、台湾の教会を訪問しました。そして翌年、アジアの諸教会と日本基督教団は宣教協力協定を締結し、本格的な交流がはじまりました。

 またこの「告白」は、国内のキリスト教各教団、他の宗教教団に戦争責任告白を促すことになりました。戦後50年の1995年、日本カトリック司教団、真宗大谷派、浄土真宗本願寺派が戦責告白を表明いたしました。

 それでは、日本基督教団戦争責任告白の一部を見てみましょう。

「『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的な判断によって、祖国の歩みに対して正しい判断をなすべきでありました。しかるにわたしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明*いたしました。(*1944年イースターに出した「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」) まことにわたしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主のゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸教会、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。」

 

  今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書8章1~14節「姦通の女」の話です。イエスは、朝早く、神殿の境内で教えをしておられました。そこに律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、こう言いました。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」彼らがこう言ったのは、イエスを訴える口実を得るためでありました。旧約聖書・申命記(律法)22章22節にその掟があります。「男が人妻と寝ているところを見つけられたならば、女と寝た男もその女も共に殺して、イスラエルの中から悪を取り除かねばならない。」

他方イエスの時代、ユダヤの国はローマ帝国の支配下にあり、死罪はローマの法律によって決定されました。ですからユダヤの律法で「姦通は死罪」と定めていても、律法によって裁き、執行することができませんでした。律法学者たちは、そのことを知った上でイエスに質問をするのです。すなわちイエスが、「石を投げよ」と言えば、ローマの法に反することとなり、イエスをローマ当局に訴える口実を得ることになります。反対にイエスが「石を投げてはいけない」と言えば、ユダヤの律法に反することになり、ローマの支配を快く思っていないユダヤの人々の支持を失うことになります。

 彼らの問いに対しイエスは答えることをせず、かがみ込み、指で地面に何か書き始められた。それでも律法学者たちがしつこく問うと、イエスは身を起こし「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われると、再び身をかがめて地面に書き続けられました。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と立ち去って行きました。彼らは自らローマの法をやぶり、石を投げる勇気がなかったのと、これまで自らが犯した罪を思い起こしたからでした。

 その後イエスは身を起こし、「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」と問うと、女は「主よ、だれも」と答えました。イエスは「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われました。

 

 説教題を「指で何かを書くイエス」といたしました。皆さんは、イエスが何を書いておられたと思いますか。これはわたしの考えです。まずイエスは地面に指で、女の罪状である「姦通罪」と書き、判決として「わたしはあなたを罪に定めない」と書きました。またイエスは地面に指で、律法学者たちの罪状「主を試みる罪」(申命記6:16)と書き、判決として「わたしはあなたを罪に定めない」と書きました。そしてこの両者の罪を、イエスはかがみこむ背に荷い、彼らが受けるべき裁きを十字架においてお受けになられ消し去ってくださるのです。ところがこの時律法学者たちは、イエスによって自分たちの罪が荷われ拭い去られることを知らずに、その場から立ち去っていったのでした。もし律法学者たちが、その場に留まり、身をかがめて地面に何かを書いているイエスに罪を告白し、イエスの「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからはもう罪を犯してはならない」との言葉を聞いていたなら、姦通の女と同じく彼らもそこから新しい歩みをはじめることができたことでしょう。

 

み言葉を読んでわたしは、イエスの前につれてこられた女とは、先の大戦で敗れたわたしたちの国であり、罪を犯したわたしたちだと思いました。また律法学者たちとは、戦勝国とその国の人々だと思いました。あの時イエスは、敗戦国・戦勝国、両方の罪をその身に負い、罪の裁きを受けられ、復活の恵みをもって出発をさせてくださいました。イエスは、両者に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言ってくださったのです。しかしそれは決して罪の是認でも放置でもありません。わたしたちは、「戦争責任告白」を主と人々の前に公表し、「これからは、もう罪を犯してはならない」と言ってくださるイエスの前に悔い改めをなし、その大いなる愛と赦しを覚えつつ、新たにされて平和のために仕えてゆくのです。「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦争責任告白)の結びを読んで終わります。

「わたしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果すことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。」 

2024. 8.11 聖霊降臨節第13 主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。   (エレミヤ書29章11節) 

            

    「平和の計画」      深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 (エレミヤ書29章11節)

            「平和の計画」        深見 祥弘
 8月6日広島・原爆の日、9日長崎・原爆の日、そして今週15日終戦記念の日を迎えます。広島・長崎への原爆投下から、また終戦から79年が経ちました。平和への祈りと希求をなしてきた79年間ですが、この国は、そして世界は平和を実現できたのでしょうか。ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザ侵攻、東アジアに高まる緊張とわたしたちの国の軍備拡張、そして世界各地におこる紛争を思うとき、人々が絶望や無関心に支配されていることに気づかされます。また核兵器の使用を示唆する発言に対し、人々の楽観に恐れを感じるものです。わたしたちは、こうした情勢に外交などの政治的な働きに期待をするものですが、教会がこの悪魔的な行為に対してできること、それはたゆみなく祈ることではないかと思います。今朝は、楽観と絶望と無関心の中にいた人々に向けて、預言者エレミヤによって語られた主の言葉についてお話してみようと思います。

今朝のみ言葉は、旧約聖書エレミヤ書29章1節から14節です。ここには、エルサレムにいた預言者エレミヤが、バビロンの捕囚民に書き送った手紙について書いています。
これを理解していただくために、まずそれまでの経緯をお話しいたします。舞台は南王国ユダ・エルサレムです。エレミヤはエルサレムで働きをした神の預言者で、この手紙は、BC594年頃に書かれました。
 イスラエルは、ソロモン王の後、南北に分裂しますが、BC722年北王国イスラエルがアッシリア帝国に滅ぼされました。南王国ユダはその危機を乗り越えることができました。その後南王国は、BC621年ヨシヤ王の宗教改革によって復興の時代を迎えます。しかし、エジプトの王ネコの攻撃を受けて、ヨシヤ王は戦死をしました。エジプトの王ネコは、ヨシヤの息子エホヤキムをユダの王としますが、彼は新バビロニア帝国が勢力を拡大する中、BC605年亡くなります。後を継いだエホヤキン王(エコンヤ)は、3ヶ月でバビロニアのネブカドネツァル王に捕らえられ、側近や民とともにバビロンに連行されました。(BC597年 第1回バビロン捕囚) 
 ネブカドネツァル王は、南王国ユダを属国とし、ゼデキヤを王としまし
た。しかしゼデキヤは、エジプトを支持する人々の煽動によってバビロンに反旗をひるがえし、その結果バビロンより攻撃を受け、エルサレムは陥落し住民はバビロンに連行されました。(BC587~586年 第2回バビロン捕囚) こうして南王国ユダは滅亡し、この地は総督ゲタリアが治める一属州となりました。その後新バビロニア帝国は、ペルシャ帝国に滅ぼされ、ペルシャ王クロスの勅令(BC538年)により、捕囚民のエルサレム帰還がゆるされることとなりました。

 さてBC597年第1回バビロン捕囚に際し、エルサレムの住民、そして捕囚民はどのような思いでいたのでしょうか。
 第1回捕囚は、エルサレムの住民全員が連行された訳ではありません。エルサレムに残された人々がいました。人々は、自分たちが正しい者であったのでここに留まることができた、この神の都エルサレムは不滅であり、連れ去られた捕囚もすぐに帰ってくると考えました。このように考えたのは、偽預言者ハナヌヤや占い師の言葉に惑わされてのことでした。
 対してバビロンに連行された捕囚民は、自分たちが主より見捨てられたと考え、深い絶望感の中、生活への意欲を失っていました。

 先ほども申しましたが29章は、捕囚地で絶望的になっている民に、エルサレムからエレミヤが書き送った手紙です。この第1回バビロン捕囚の際には、エホヤキン(エコンヤ)王、太后、宦官、高官、長老、祭司、預言者、工匠や鍛冶といった技術者たちが連行されました。この手紙は、ゼデキヤ王がバビロンのネブカドネツァル王のもとに派遣するエルアサとゲマルヤの二人に託しました。BC594年頃のことです。
 手紙の内容は、次の3つです。
一つ目、エレミヤは主の言葉として捕囚民に対し、エルサレムにいた時と同じように、バビロンでも落ち着いた生活をしなさい、暮らすその町の平安を祈りなさいと書きました。「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」(29:7)
 二つ目、エレミヤは主の言葉として捕囚民に、バビロンにいる預言者や占い師に騙されてはならないと書きました。彼らは主の名を使って偽りの預言をしているが、主は彼らを遣わしてはいない。偽預言者たちによって、捕囚地でもすぐに故郷に帰ることができると楽観している人や、主に見捨てられ二度と故郷に帰ることができないと絶望している人がいたからです。
 三つ目、エレミヤは主の言葉として捕囚民に、七十年の時が満ちたなら、エルサレムに連れ戻すと伝えました。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。」(29:11~14) エレミヤは主の言葉として、人々が七十年の間、神を呼び求め、祈ること、心を尽くして求めることを学ぶように伝えます。そうすればバビロンにあっても、人々はエルサレムにいたときと同じように、神を見出すことができる。人々の心配は、神殿なしに神を正しく礼拝できるのかということでありましたが、エレミヤは、この地においても祈りと信仰生活が可能であると教えました。
 エレミヤは主の言葉として民に、70年を無為に過ごすのではなく、その期間が主の計画であることを信じなさい。主の民としての生活は、捕囚地バビロンにおいても続けられなければならない。それは、家を建て、畑を作り、その実を食べ、妻をめとり、子を育てるという日常生活を続けることであり、神殿はなくても、日毎に祈りと礼拝によって主が共にいてくださることを見出し、信仰と悔い改めと希望に生きる生活をなすことです。

 戦後79年、わたしたちは主の平和の計画を信じ、堅実な生活をしてきたでしょうか。わたしたちは、住むこの町やこの国、そして世界のために平和を祈ってきたでしょうか。どのような状況にあっても、主の名を呼び、
平和を祈り求め、そこに主の姿を見出してきたでしょうか。わたしたちの国の状況に甘んじて平和に対して無関心であったり楽観的であったり、世界の状況に対して絶望をしてこなかったでしょうか。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」わたしたちは、このみ言葉に信頼し、主との豊かな交わりの中、平和を求め祈ってまいりましょう。

2024. 8. 4 聖霊降臨節第12 主日(平和聖日礼拝)
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< 今 週 の 聖 句 >イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。

           (ヨハネの手紙第一5章1節)            

  

   「わたしたちの信仰」      深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >
イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。
(ヨハネの手紙第一5章1節)

            「わたしたちの信仰」      深見 祥弘
 今日は、わたしたちの教団、日本基督教団が定める「平和聖日」です。かつてわたしたちの教団が、悪に負けて罪を犯したことを認め、内外に戦争責任を告白し、主の教えに立ち返り、平和を創り出す者としての使命を果すために、教団に連なる諸教会が互いに祈り働きをすすめてゆくことを覚えるときです。

 日本基督教団出版局は「信徒の友」という信徒向けの雑誌を発行しています。その8月号の特集は「非戦に生きる」です。その特集記事の中に、「柏木義円に聴く」がありました。これを書いたのは東京基督教大学の川口葉子さんと同志社女子大学の山下智子さんです。柏木義円(ぎえん)についてご存じの方も多いかと思いますが、「信徒の友」を見ながら少しだけ紹介をいたします。
 柏木義円は、1860年越後の国(新潟県)に生まれました。彼はその名が示すように西光寺というお寺の息子で、住職であったお父さんが早くに亡くなったため7才で僧侶となりました。17才で東京師範学校で学び、卒業後、群馬県の小学校校長となりました。しかしわずか2年で辞めて、同志社英学校に入学し、1884年群馬県安中教会で海老名弾正牧師から洗礼を受けました。卒業後しばらくの間、同志社で働きをしましたが、1987年日清戦争に際しては主戦論を表明しました。1897年安中教会の仮牧師に就任し、翌年「上毛教界月報」を創刊しました。この「月報」は安中教会牧師を辞任するまで38年間刊行(第459号)されました。1902年、42才の時、安中教会第5代牧師に就任し、以来1935年の辞任まで33年間この教会に仕えました。この間、1903年日露戦争に反対表明、1914年日本組合基督教会の朝鮮伝道批判、1923年関東大震災での社会主義者・朝鮮人虐殺に抗議、1935年満州事変に対し宣戦布告なき戦争の開始を批判し、非戦の訴えを行ってきました。 川口葉子さん、山下智子さんの記述によれば、柏木義円は、新島襄の思想「人ひとりは大切」を最もよく受け継ぐ者でありました。義円は村から村へよく歩き、病気の信徒を見舞い、信徒に問題が起これば駆けつけてその苦悩に深く同情しました。また彼は「殺す勿れ」と説き、「戦争を否認せよ」と訴えました。戦争で死ぬ者は愛国の勇士と賞賛されるが、平和主義のために殉ずる者は、臆病な非国民と罵られる。しかしそれは真実を覆い隠そうとする悪の霊のなせる業である。平和は、平和の君なるキリストの心を徹底的に主張し、御国を来たらせたまえ、御心の天になるごとく地にもなさせたまえとの祈りを実現することである。それゆえに義円は特に宗教家に対して強く迫ります。「宗教家は戦争を否認せよ大胆に否認せよ生命を賭しても否認せよ」と。
 週報に案内をしていますが、今月から来年12月まで「新島襄ゆかりの教会スタンプラリー」が行われます。その中に柏木義円が働きをした安中教会も入っていますので、よろしければお出かけください。

 今朝のみ言葉は、ヨハネの手紙第一5章1節~5節です。ヨハネの手紙第一は、著者(使徒ヨハネ)がイエス・キリスト(命)の目撃者として証言をする内容です。「この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。」(1:2) (※実際の著者は後の時代の教会指導者であるが、使徒ヨハネの名を用いて書いている。) やがて世にはイエスを「命」と認めない「反キリスト」が登場する。そのとき使徒ヨハネは、神の子ら(信徒)に、真理の霊と反キリストの霊を見分け、神を愛することと兄弟愛を実践するように勧めます。
 説教題を「わたしたちの信仰」(5:5)といたしました。皆さんは、信者である自分が何を信じているのか、また信徒でない皆さんは信者である人々が何を信じているのかお分かりでしょうか。信者である人が信じているのは、「イエスがメシア(救い主)である」(5:1)ことです。すなわち天の父の元から降って世に来られ、人として生き、反キリストによって苦しみを受け十字架に架けられたイエス、この御方をメシア(救い主)と信じることです。人々は、捕らえられて十字架に架けられ惨めな姿で死んでいったイエス、自分で自分を救うこともできなかったイエス、そのイエスがどうしてわたしたちの救い主などであろうかとの思いに満たされました。
しかし十字架のイエスを見て、この御方こそわたしの救い主だ、わたしたちの救い主だと信じた人々もいたのです。十字架刑執行の責任者であるローマ軍の百人隊長がそうでありましたし、すこし遅れてのこととなりますがイエスの弟子たち(その一人である使徒ヨハネ)もそうでありました。十字架のイエスが救い主である、このことは人の知恵によっては、絶対に生まれてこない告白です。では、どうして使徒ヨハネたちは信じることができたのでしょうか。それは、神の愛によって彼らに真理(キリスト)の霊が与えられ、新たに生まれることができたから、すなわち「神から生まれた者」となったからです。
「神から生まれた者」(キリスト者)は、「生んでくださった方」(神)を愛し、また「その方から生まれた者」(他のキリスト者)をも愛します。十字架のイエスが救い主であるとのわたしたちの信仰は、わたしたちに何者にも犯されない「命」を与え、世に打ち勝つ勝利をもたらします。
 ところで使徒ヨハネは、キリスト者だけが救われると主張しているのでしょうか。5章16節に「死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。」とあります。ここでいう「兄弟」とは、キリストを知らない人、迷っている人、弱さのゆえに罪を犯している人のことです。使徒ヨハネは、こうした人々の救いのために祈るようすすめています。それに対して「死に至る罪」を犯す人もいます。それは十字架のイエスが救い主であることを否定する人です。使徒ヨハネは、こうした人のために祈りなさいとは言いません。そうした人の救いは、十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)と祈られたイエスにゆだねられるべきです。
 使徒ヨハネは、イエスについて証しします。「わたしたちは知っています」。神の子(キリスト者)は、イエスがその人を守り、悪い者が手を触れることができないので、罪を犯しません。「わたしたちは知っています」。今、この世界が悪い者の支配下にあることを。「わたしたちは知っています」。イエスは、悪の支配下にある世を救うために来られました。その結果、わたしたちはイエス・キリストによって愛の神を知る力が与えられ、悪い者の支配下ではなく、「真実な方(神)の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。」(5:20)

 新島襄は「人ひとりは大切」と言い、柏木義円は「殺す勿れ」「戦争を否認せよ」と訴えました。悪しき者の支配によって、人が大切にされない状態にある中、イエスが自らを十字架に架け、人を道具のように扱う世の罪を滅ぼし、信者もそうでない者も愛し、永遠の命を与えてくださろうとしています。この「命」(イエスが人に与えた命)を空しくすることは、絶対にゆるされません。世に打ち勝つ勝利、それがわたしたちの信仰です

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