W.M.ヴォーリズが愛した教会
近江八幡教会
日本キリスト教団
2024. 11.24 降誕前第5主日礼拝
< 今 週 の 聖 句 >
「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」
(マタイによる福音書6章29節)
「空の鳥と野の花、ソロモンの栄華」 仁村 真司教師
< 今 週 の 聖 句 >
「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」 (マタイによる福音書6章29節)
「空の鳥と野の花、ソロモンの栄華」 仁村 真司
「・・・何を食べようか何を飲もうか、⋯何を着ようかと思いわずらうな。
・・・空の鳥を見よ⋯。」
今回見て行くイエスの言葉は詩的で滑かです。難しいことはわからなくても、「音」として、歌のようにすっと入って行って心に残る。時を経て、思い出そうとしなくても自然にまた聞こえて来る、そんなふうに語られたのではないかと思います。
こういった感じにほんの少しでも近づいたことになるのかどうかわかりませんが、26〜28節を文語訳で読んでみましょう。
空の鳥を見よ、蒔かず、刈らず、倉に收めず、然るに汝らの天の父は、これを養いたまふ。汝らは之よりも遙に優る者ならずや。汝らの
中(うち)たれか思ひ煩ひて身の長(たけ)一尺を加へ得んや。又なにゆゑ
衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、
紡がざるなり。
幼いころはじめてこの箇所を耳にしたのはもしかしたら文語訳でではなかっただろうか・・・。ふとそんな気が私はして来ます。文語訳のリズミカルな文体は聞くと、何のことだかわからなくてもそのまま、それとなく心なのか体なのか、どこかに残っているのでしょう。
1)
もっとも、今日の箇所は大変有名ですから、はじめて読んだ、聞いたという人でも「何のことだか」ということはないと思います。でもちょっと「アレッ?」というところはあると思います。そこを見ておきましょう。
「汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや」。新共同訳では「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」です(27節)。
「身の長(身長)」も「寿命(年齢)」もいくら思い煩ったところで「加へ得
んや」、伸ばせも延ばせも出来ないのは同じことです。私としてどちらでも良いと言いたい所ですが、ここは「寿命(年齢)」でしょう。
共同訳の「わずかでも延ばす」の直訳は「一ペキュスでも加える」で、ペキュス」は「尺」と同じく物の長さの単位なのですが、「お宅のお子さんもうそんなに大きくなったの」というのと同じです。言うまでもなく「大きくなった」は、身長ではなく年齢が高くなったということです。
あともう一カ所、文語訳の「野の百合」が口語訳・新共同訳では「野の花」になっていて(28節)、これは本当にどちらでも良い。なのですが・・・。
「百合」よりも「花」が訳語として正確・適切とされるのは、イエスが「どのように育つか見よ」と言った花が、今日の植物学でユリ科に分類される花(ばかり)ではないと考えられるから、それが理由らしいです。
でも当時の人々は、私たちが「百合」と呼んでいるものと似た感じの野の花も合わせてそう呼んでいた。それを今の自分たちの考え方に合わないから正しくない、適切ではないという発想は私にはどうもいただけません。
ただ、何がなんでも「野の百合」と言い張るつもりもないので、これは置いておくとして、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」。この「注意して」が何か堅い感じで、ちょっと引っ掛かりませんか?
もっともここは原文に堅い所があって、その感じを表そうとしている訳ではないのでしょうが、直訳は「いかにして育つかをよく学べ」です。
「学ぶ」はマタイが好んで用いる語で、他に26節「あなたがたの天の父」も明らかに「みだりに神の名を唱えない」マタイの言い方です。ルカの並行記事(12章22節以下)では単に「神」となっています(12章24節)。
30節以下にも、マタイらしい文言が見られますが、例えば「それらはみな、異邦人が切に求めているのものだ」(32節)はルカの記述にもあります(12章30節)。福音書に記される以前に、既に自分たちの考え方(信仰的発想)に合わせてイエスの言葉、「空の鳥、野の花を見よ」を“翻訳”していた人たちがいた。そしてそれに更に手を加えてマタイが伝え、それを日本語に翻訳したものを今私たちは見ているということになります。
2)
だからと言って、どこまでが元々イエスの発言で、どこまでがマタイ乃至それ以前の伝承者の書き換え・書き足しか、一語一語厳密に区別することはできないのですが、できないのは、書き換え・書き足しが大昔に行われたからということだけではありません。
マタイやマタイ以前の伝承者たちの考え方・発想は、当時のユダヤ教における一般的な考え方とかなりの程度共通しているのですが、イエスもこの世、当時のユダヤ教社会を生きた「時代の子」です。考え方・言葉遣い等、当時のユダヤ教と共通する所があるのは当然、だからです。
「籠に一片のパンを持っていて、明日何を食べようかという者は信仰の小さい者」・「今日の食べ物を持っていながら、明日何を食べようかと問う者は、信仰なき者である」、これらはユダヤ教のラビの言葉です。
それぞれ「パン」・「食べ物」に「衣服」、「何を食べようか」に「何を着ようか」を書き足せば、書き足さなくても、今日の箇所と殆ど同じ主旨の宗教倫理が説かれています。何もムキになってキリスト教の独自性を捻り出す必要はないと思います。
ただ、「イエスと(イエスも)同じことを言っている」と言われると、腑に落ちにくい、落ちないのは、頭ではなく心(耳)に残っている「空の鳥、野の花」がないからだろうと思います。
3)
特にマタイ福音書が伝えるイエスの言葉は、当時のユダヤ教の常識的発想の枠組みで捉えられる所が多いのですが、しかしどうしてもそれでは捉え切れない、やすやすと枠を乗り越えて広がり、人々に届き、人々の中に残る「響き」がある―例えば5章21節以下の「しかし、わたしは言う」、今日の箇所では「空の鳥」・「野の花」そして「栄華を極めたソロモン」
―それがイエスの言葉です。
「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」(29節)
「栄華を極めたソロモン」と言っても、イエスよりおよそ千年前の話ですから、イエスが具体的に知っていたはずはないです。おそらくイエスの念頭にあったのは、当時ガリラヤ湖畔にまで押し寄せていたローマ風の巨大建築を中心とした町づくり、そしてローマの技術をふんだんに取り入れたソロモンの神殿よりはるかに豪華であったであろうヘロデの神殿です。
このような「文明化」・「都市化」は古代ではあっても、絶えざる変化・「発展」を前提とする資本主義的発想をもたらしたはずです。
「普通」であること、「正常」であること、「社会適応」の基準が変わり、ハードルはどんどん高くなって行きます。そしてどんな、どれほどの、「装い」が相応しいとされるのか分からなくなる。
栄華を極めたソロモンでもいくら着飾ったところで、いくら装いに費やしたところで、これで良い、これ以上はない、という訳には行かなくなる。また、強大な神殿を頂点とするユダヤ教もそれから免れること出来ない。
でも野の花は違う。いつもその時々に相応しく、それ以上にはなく装われているではないか・・・。イエスが言っているのはそういうことなのかもしれません。そして「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。」
この「育つ」は「老いる」ということも含めて「生きる」、「注意して見なさい」は、日々それらしく装うことに思い悩んで生きる私たちは野の花からはどう見えているのか、そういう問いかけのように私には思えます。
2024. 11.17 降誕前第6主日礼拝
< 今 週 の 聖 句 >
わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。・・・わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 (創世記9章11・13節)
「約束の虹を見ながら」 深見 祥弘先生
< 今 週 の 聖 句 >
わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。・・・わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 (創世記9章11・13節)
「約束の虹を見ながら」 深見 祥弘
今朝は、近江兄弟社高校吹奏楽部の皆さんと共に、礼拝を守ることができ感謝をいたします。この礼拝の奏楽と、礼拝後のコンサートのご奉仕をよろしくお願いいたします。
この教会には、教会を象徴する三つのものがあります。一つは、教会の鐘です。礼拝が始まる前に、鐘の音を聞いていただきました。日曜日の礼拝開始前と、毎日午前八時、夕方の六時に鐘を鳴らします。礼拝が始まることを知らせる鐘、学校に行く子どもたちや務めに出る人々の安全を祈る鐘、そして子どもたちや人々の一日の守りを感謝する鐘です。
二つ目は、礼拝堂のオルガンで、これはハルモニウムといいます。今から95年前、フランスから海を渡って近江八幡に来ました。ヴォーリズさんには、学生時代、ハーバート・アンドリュースさんという友人がいました。ヴォーリズさんは無神論者であった彼をキリスト教の信仰に導きました。この友人は、ヴォーリズさんが来日後、間もなくして亡くなりますが、ヴォーリズさんとアンドリュース家の人々との交わりは続きました。この友人のお母様、エラ・マトソン・アンドリュースさんが亡くなったとき、娘のホルブルックさんが、お母様を記念して近江ミッション近江八幡教会にオルガンの寄贈を申し出られました。ヴォーリズさんがフランスのデュモン社製のハルモニウムを選定し、「エラ・マトソン・アンドリゥス・メモリアルオルガン」と名付けられました。来年1月25日(土)に、スイス・ベルンの聖霊教会オルガニスト、マーク・フイッツェさんを迎えてハルモニウムコンサートを行います。ぜひお出でください。
教会を象徴するものの三つ目は、ステンドグラスです。この会堂が建てられた41年前に設置されました。これを作ったのは三浦啓子さんです。三浦さんの作品は、京都丸太町教会、三浦さんが学んだ同志社女子大(田辺校地)などたくさんあります。これは三浦さんの初期の作品で、聖書の創世記「ノアの箱舟」をテーマとした作品です。箱舟から放たれた鳩、契約の虹、そして静かな
琵琶湖を表しています。
今日は、旧約聖書に書かれている「ノアの箱舟」のお話をいたします。
神がこの世界をお創りになられた時、人をも造られました。神はご自分の天地創造の意図(平和・神の国)を知るものとして人を造り、これを委ねられました。しかし人は、神の天地創造の意図を外れたこと(罪は的外れの意味)を行うようになりました。力を持つ人(ネフィリム)が、他の人や神に創造されたあらゆるものを支配し、自らの欲望を満たそうとするようになったのです。これを見て神は、人とこの世界を造ったことを後悔し、一度お造りになられた世界を滅ぼすことにしました。
ノアは、神に従う無垢な人でありました。神は、ノアに洪水をおこすことを告げ、巨大な三階建ての箱舟を作るように命じました。また神はノアに、彼の家族とあらゆる動物の雄雌、そして生き延びるための食料を箱舟に運び入れるよう命じました。人々は、箱舟作るノアを見て、この世界が滅びることなどないと言い、あざ笑いました。しかしノアは、神から命じられたことをすべて行い、箱舟の戸を閉じました。間もなく大いなる深淵の源が裂けて水が吹き出し、天の窓が開かれて雨が降り、洪水となりました。四十日四十夜、雨は降り続き、高い山々もみな沈むなどして、百五十日間、水が世界を覆いました。やがて水が引き始めると、箱舟はアララト山の上に止まりました。ノアは、箱舟の窓を開けてまず烏を放ちました。烏は飛び立ちますが、しばらくすると箱舟に帰ってきました。烏は箱舟と地上を行き来し、死肉を食べるなどして地上をきれいにする役目を果しました。次にノアは、鳩を放ちましたが戻ってきました。まだ止まる所がなかったからです。しばらくしてもう一度、放つと、鳩はオリーブの葉をくわえて帰ってきました。ノアは、どこかに地面があらわれ、オリーブが芽生えていることを知りました。さらに七日後、ノアが鳩を放つと、鳩はもう戻ってきませんでした。ノアは、箱舟の周りの地面も乾いているのを見て、箱舟から家族やすべての動物たちを出しました。
ノアは、祭壇を築き礼拝を献げました。神はノアとその家族に言いました。「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」さらに神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」
2024. 11.10 降誕前第7主日礼拝
< 今 週 の 聖 句 >
「自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」
(マタイによる福音書20章14~15節)
「気前の良い主人」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
「自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」
(マタイによる福音書20章14~15節)
「気前の良い主人」 深見 祥弘
今朝は、私たちの教会の収穫感謝礼拝(キリスト教暦では11月24日が収穫感謝日です)、子どもも大人も一緒に、神様の恵みを覚えて感謝の礼拝をささげます。ここには、くだものやお野菜など秋の実りをいっぱい飾りました。これらは、私たちから神様への感謝のささげものです。またここには、聖餐式の準備もされています。パンとぶどう酒(ジュース)が用意されていますが、これは神様から私たちへのプレゼントです。
ずっとずっと前こと、子どもたちがまだ小さかった頃のことです。複数の家族で奈良に出かけ、通りがかりのぶどう園に入りました。8月のことで、ぶどう棚の下は日陰とはいえ、サウナのようにとても蒸し暑かったのです。でもくだものの大好きな息子は、1時間食べ放題と聞くと「ここは天国や」と言いました。
先ほど読んでくださった聖書の言葉、マタイによる福音書20章は「ぶどう園の労働者」のたとえです。ぶどう園の主人は、雨季の迫る中、たくさん実ったぶどうを一刻も早く収穫する必要がありました。この日、主人はぶどう園で働く労働者を雇うために、町の広場にやってきました。広場には、雇う人と仕事を求める人がたくさん集まっていました。朝の6時頃、主人は、1日1デナリオンの約束で人々を雇い、ぶどう園に連れて行きました。まだまだ人手が足りません。主人は9時ごろに広場に行ってみると、そこに立っている人々がいました。主人はこの人たちに「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と声をかけて雇いました。まだまだ人手が足りません。主人は、昼の12時ごろ、そして3時ごろにも広場に行って、そこにいた人たちを雇いました。主人が、夕方の5時ごろにも広場に行ってみると、立っている人々がいたので「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、「だれも雇ってくれないのです」と答えました。主人は「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言って、この人たちをも雇いました。
夕方6時になると、主人は監督に「労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」と命じました。朝早くからぶどう園に来て、暑い中を辛抱して働いてきた人たちは、なぜその順番なのかと思いました。さらに見ていると、ついさっき来た5時の人々が1デナリオンを受け取り、飛び上がるようにして喜んでいます。朝6時から働いてきた人々は思いました。自分たちはもっとたくさんもらえるに違いない、もしかすると、主人が自分たちを労って食事に誘ってくれるかもしれない、そうに違いない、それで自分たちの賃金の支払いを最後にしたのだ。 しかしこの思いは外れ、朝6時に雇われてきた人たちも、同じ1デナリオンを受け取り、食事の誘いはありませんでした。彼らが、「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」と不平を言うと、主人は、「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」と答えました。
「一日につき一デナリオンの約束で」(2)、1デナリオンは1日の労働の対価にふさわしい賃金です。主人は9時に雇われた人々に「ふさわしい賃金を払ってやろう」と言いましたが、彼らも1デナリオンを受け取ったでありましょうし、12時の人も3時の人も同様であったことでしょう。先の選挙で各党が公約としたのは、今の時給は少ないので1時間1500円を目指しますでありました。時給で計算しますと、夕方5時に来た人は6時の仕事終わりに1500円を受け取ることになります。とすれば、朝6時に雇われた人は、12時間働いてきたわけですから、18000円を受け取ることになります。しかしこのお話は、5時に来た人々も含めて全員が18000円を受け取った訳ですから、朝6時の人が不平を言いたくなるのもわかります。
でも皆さんには、20章1節の言葉をもう一度見ていただきたいと思います。「天の国は次のようにたとえられる。」と書かれています。このお話は、私たちの暮らす社会のことを教えるのではなく、天の国のことを教えるためのお話、天の国のたとえです。
このお話は、たとえです。お話に登場するぶどう園の主人とは、神様(イエ
2024. 11.3 降誕前第8主日(永眠者記念礼拝)
< 今 週 の 聖 句 >
主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と言われた。
(ルカによる福音書7章13節)
「悲しみの隊列が喜びの隊列に」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と言われた。
(ルカによる福音書7章13節)
「悲しみの隊列が喜びの隊列に」 深見 祥弘
教会では、古くから11月第一日曜日を「聖人の日・永眠者記念日」とし、天上の兄弟姉妹を覚え記念礼拝を守ってきました。今朝は、ご遺族の皆様と礼拝をおこなうことができ感謝いたします。この礼拝では、昨年10月から今日までの間に召された8名の方々、そしてこの方々を加えて681名の方々を記念いたします。[新召天者8名の方々とは、持田芳和兄(10/12)、
竹山正人兄(12/5)、龍神一郎兄(1/6)、八川十四代姉(1/12)、林 一兄(1/19)、横川知明さん(3/25)、西井義生兄(7/26)、加納京子姉(9/10)です。]
今朝読まれたルカによる福音書7章11~17節は、イエスが「やもめの息子を生き返らせる」話です。イエスと弟子たちがガリラヤ地方の町ナインを訪れた時、町の門で葬列と出会いました。やもめの一人息子が亡くなり、棺が町の外に担ぎ出されるところでした。彼女には大勢の町の人々が付き添っていました。イエスはこの母親を見て憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言い、棺に手を触れて「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」と呼びかけました。するとこの息子が起き上がり、ものを言い始めると、人々は「大預言者が我々の間に現れた。」「神はその民を心にかけてくださった。」と言って神を賛美しました。
イエスの時代、ユダヤでは人が亡くなると、その日のうちに棺を町の外に出して葬りました。死の力や支配が町に留まることを恐れたからです。この母親も、息子と十分に別れの時をもつことができませんでした。付き添っている人たちは、先に夫を亡くし、この時一人息子を亡くした彼女に深く同情しながらも、一刻も早く死者を町の外に出さねばとの思いに満たされていました。泣いている母親に付き添う人々もまた涙を流していました。人々は彼女への同情と共に、自分たちの非情を思い、涙を流していたのです。イエスは、涙を流すこの母親と付き添う人々を見て、憐れに思い「もう泣かなくてもよい」と言われました。「憐れに思い」(ギリシャ語スプランクニゾマイ)という言葉は「はらわたの痛むほどの激しい心の動き」を意味します。「憐れに思い」、この言葉からこの母親や付き添う人々へのイエスの思いを知ることができます。
イエスは、この出来事の後、十字架に架けられて死に、その日の内にエルサレムの町の外に出され墓に葬られました。亡くなったイエスを見守っていたのは、母マリア(先に夫ヨセフを亡くしたであろう)と何人かの女性たちでありました。ナインの母親と息子が体験したことを、母マリアと息子イエスも体験してくださっているのです。イエスの憐れに思う思いは、これほどのものでありました。さらにイエスは、葬られて3日目の朝早くに復活されました。復活したイエスは、ナインの町のあるガリラヤ地方にあらわれましたし、エルサレムの町の中で部屋に閉じこもっていた弟子たちのところにもあらわれました。イエスは「死」の支配を受け、人々がこれを恐れて悲しむ姿を見て憐れんでくださいました。憐みのイエスは、ご自分も死んで町の外に運び出され、復活することで死に勝利し、町の外も、墓もよみの世界も、ご自分の力と支配の及ぶところとされました。
牧師として働きを始めて41年が過ぎました。この間、多くの方々の死に立ち会わせていただき、葬りの奉仕をさせていただきました。赤ちゃんの葬儀もいたしました。自死した若者と向き合ったこともありました。働きざかりの方が事故で亡くなられたこともありましたし、突然の病で飛び去るように召された方もおられました。長い闘病の末に召された方、長寿を全うしろうそくの火が消えるように召された方もおられました。こうしたお一人おひとりの姿や言葉がわたしの中にあります。でもわたしはそうした方々とどう向き合うことができたのかと思わされています。教会で働きをはじめて間もない頃のことをお話します。京都の教会で伝道師として働きをした時、年配の姉妹が亡くなりました。この方はお連れ合いを亡くされた後、赴任してくる若い牧師たちを励まし支えて下さいました。お宅を訪問すると、軽食を準備してくださり、励まして下さったこともありました。この姉妹の葬儀の際、司会をいたしましたが、いろいろなことが思い出され、心が乱れ、声が上ずってしまう場面がありました。後で司式をした牧師が、ルカ福音書7章11節のお話から、司式者・司会者は、激しく心を動かしながら働きをされるイエスの背後に立つ弟子たちの位置にあって働きをしなければならないと教えてくださいました。また東京の教会で副牧師をしておりました時、若者が亡くなりました。知らせを聞いて駆けつけてきた牧師は、彼の枕元に座ると、その顔をじっと見て、彼に身を重ねるようにして慟哭されました。感情を露わにし、そこにいる人々と共に泣いて、主に祈って御手に委ねたのです。まったく対象的な二人の牧師ですが、二人の中にそれぞれ「主を主とする」ことに徹しようとする姿を見ることができました。
イエスがやもめの一人息子を生き返らせると、人々は「大預言者が我々の間に現れた」と言いました。これは旧約聖書に登場する預言者エリヤのことです。エリヤは飢饉に際し、主に導かれてサレプタのやもめの家に逃れました。そのやもめの一人息子が亡くなりました。エリヤは飢饉と貧しさの中にあっても、自分を助けてくれるやもめから、主はどうして息子を奪うのかと激しく心を動かし、息子の体に自分の体を3度重ね「主よ、この子の命を元に返してください」と祈ると、息子は生き返ったのでした。
ナインの町でイエスがやもめの一人息子を生き返らせた時、人々は預言者エリヤが現れたのだと思いました。人々はエリヤが再来すると、救い主が到来すると信じていましたので、「神はその民を心にかけてくださった」と言いました。
ルカによる福音書は、ここでイエスがエリヤの再来、救い主の先ぶれではなく、イエスこそが救い主であると書きます。11節、12節は「イエスは」と書いていますが、13節は「主はこの母親を見て、憐れに思い」としています。イエスは、エリヤのように主に救いを祈っていません。主であるイエスは、母親に「もう泣かなくてもよい」と言い、「若者よ、起きなさい」と言って、ご自分の力で母親の悲しみを喜びに変え、死んだ若者に新しい命を与えるのです。こうして町の門を出ようとしていた悲しみの葬列は、主イエスに出会い、町にもどる喜びの隊列に変えられました。ナインは、町と外との隔て(生と死の隔て)が取り除かれ、いずれも主の支配を受けるところとなりました。「ナイン」という町の名は、「ここちよい」という意味です。生きている者も死んだ者にも「ここちよい」ところ、それが、主イエスが来てくださった町ナインです。私はそれが教会ではないかと思うのです。私たちの教会の墓は、教会の境内の中にあります。それはイエスがナインで実現してくださった世界だと思います。
今朝記念いたします681名の兄姉は、主イエスとの出会いが与えられ、主のおられる教会で「もう泣かなくてもよい」、「あなたに言う。起きなさい。」という言葉を聞き、「神はその民を心にかけてくださった」と言って讃美をささげました。またここにいる私たちにも、同じ恵みが与えられています。主イエスが、十字架と復活の恵みであるまことの命(永遠の命)に満たしてくださるからです。私たちに主イエスとの出会いの場、「ここちよい」ところ、教会が備えられていることに感謝いたします。