W.M.ヴォーリズが愛した教会
近江八幡教会
日本キリスト教団
2024. 5. 26 三位一体主日礼拝(聖霊降臨節第2主日)
< 今 週 の 聖 句 >
信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明
したのです。 (テモテへの手紙第一6章12節)
「信仰の戦いを戦い抜き」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得る
ために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明
したのです。 (テモテへの手紙第一6章12節)
「信仰の戦いを戦い抜き」 深見 祥弘
先週の主日は聖霊降臨日、そして本日は「三位一体主日」です。「三位一体」とは、父なる神と子なる神と聖霊なる神が、各々三つの自存者(ヒュポスタシス)であり、かつ一つの実体(ウーシア)として完全に一致・交流することを意味します。イエスは言(ロゴス)として永遠の昔から神の独り子で、時いたって受肉し、彼をとおして父なる神が啓示されました。聖霊も父なる神を根拠として、子をとおして派遣され、イエスの死後その働きを継続する自存者です。(岩波キリスト教辞典より)
今朝のみ言葉「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。」(Ⅰテモテ6:12)を読んで、先日召天された星野富弘さんのことを思いました。星野さんについては、ご存じの方も多いと思いますが、その御生涯をたどってみましょう。星野富弘さんは、1946年4月に群馬県に生まれました。1970年3月、群馬大教育学部を卒業し、4月高崎市内の中学校に体育の教師として赴任しました。それから二か月後の6月、クラブ活動の指導中に事故で頸椎を損傷し、手足の自由を失いました。入院中に、口に筆をくわえて文や絵を書きはじめました。1979年、退院し前橋で最初の作品展を開きました。1981年にご結婚、1982年には高崎で「花の詩歌展」を開催、1991年、群馬県東村に村立富弘美術館が会館しました。その後、ブラジル、アメリカなど海外の各都市でも「花の詩歌展」を開催し、2006年熊本に星野富弘美術館が開館いたしました。2024年4月28日、78年の生涯を終え召天されました。
星野富弘さんとキリスト教との出会いは、次のようでありました。入院中の星野さんに、病院の検査技師(クリスチャン)さんから三浦綾子さんの著書「塩狩峠」、「道ありき」、「光あるうちに」を借りました。三浦綾子さんも、13年間身動きできない状態で、ベッドで闘病した経験がありました。星野さんは、入院中、何度も死んでしまいたいと思ったそうです。星野さんは、三浦さんの「生きているのではなく、生かされているのです。」という言葉に感銘を受けました。また、大学の先輩(クリスチャン)がお見舞いに来て祈ってくれました。後日、その方から聖書が送られてきたそうです。さらに、二人が通っていた教会の牧師が病室を訪ねてくれました。
1974年12月、星野富弘さんは、前橋キリスト教会の舟喜拓生牧師より洗礼を受けました。星野さんは、その時の思いを次のように書いておられます。「私は聖書のほんの一部しか、それもほんのうわっつらしかわかっていなかったが、キリストの『私の所に来なさい』という言葉に、素直についていきたいと思った。私のいまの苦しみは、洗礼を受けたからといって、少なくなるものではないと思うけれど、人を羨んだり、憎んだり、許せなかったり、そういうみにくい自分を、忍耐強く許してくれる神の前に、ひざまずきたかった。許されても許されても、聖書のいう罪を犯しつづけるかもしれない。苦しいと言ってわめき散す日もあるかもしれない。でも『父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分でもわからないのです』と十字架の上から言った、清らかな人に従って、生きてみようと思った。」(「愛、深き淵より」)
今朝のみ言葉は、テモテへの手紙第一6章11節~16節です。この手紙は、伝統的に、パウロが弟子のテモテに宛てて書いた私信とされてきました。パウロは、第二伝道旅行で訪れたリストラでテモテに出会い弟子にしました。第三伝道旅行中、二人はエフェソに滞在しますが、パウロは、テモテを残し、一人マケドニア州に出発しました。この手紙は、パウロが滞在先からテモテに送ったもので、エフェソの教会においてパウロが教えた信仰とは異なる教えを説く人々から、信者たちを守るようにと伝えています。
しかし現在は、この手紙が一世紀末から二世紀はじめ、信仰と異なる教えによってもたらされた教会の混乱や、ローマ帝国によるキリスト教迫害による危機により苦難を覚える中で書かれたものと考えられています。そうした状況にあってローマにいた教会指導者が、小アジアの教会(エフェソの教会)に宛てて、パウロの教えをもとに教会生活のあり方などを教えるためにこの手紙を書きました。テモテの手紙第一・第二、そしてテトスへの手紙は、その内容から「牧会書簡」と呼ばれています。
パウロは、6章11節以下で、テモテを、またエフェソの教会の人々を、そしてすべての教会に連なる人々を励まします。「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。・・・わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。・・・高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。」
星野富弘さんに、「ドクダミ」と題する詩があります。
「おまえを大切に 摘んでゆく人がいた。臭いといわれ きらわれ者の
おまえだったけれど 道の隅で 歩く人の 足許を見上げ ひっそりと
生きていた いつかおまえを必要とする人が 現れるのを 待っていた
かのように おまえの花 白い十字架に似ていた」(「かぎりなくやさし
い花々」)
ドクダミは、日陰の湿った地に生え、独特の匂いがありますので、あまり良い印象を持ちません。また地下茎を張り巡らし抜いても抜いても生えてくるので、別名「ジゴクソバ」と呼ばれます。しかしドクダミ(毒止め)は、もう一つ名があって「十薬」と呼ばれます。いやな匂いに殺菌作用があり、生薬として用いるならば利尿作用や整腸にも効果があります。ドクダミは、花が白い十字形、葉っぱがハート形、人々から嫌われることもありますが、殺菌作用(清め)と生薬(癒し)、さらにその生命力(復活の命)から、星野さんは、ドクダミとイエス・キリストとを重ね合わせているのです。
パウロやテモテの頃の教会、また一世紀末の教会は、イエス・キリストを模範とし、あたかもドクダミのようであろうとしたのではないでしょうか。混乱と迫害の中にあっても、天に向けて十字の白い花を咲かせ、神に望みを置くことを何よりも大切にしました。救いや癒し慰めを求める人には、物惜しみせず喜んで分け与えました。また真の命を得るために、十字架と復活を否定する異なる教えを退け、堅固なキリストという基礎を築くことをこころがけました。星野富弘さんのご生涯においても、三位一体の神の豊かな働きを見出すことができます。すなわち父なる神に召しだされ、イエス・キリストに愛され、聖霊の導きによって多くの人々の前で信仰を表明しました。生涯を通して神に望みを置き、愛に生き、信仰を確かなものとしつつ、キリストが再び来られる時を待っておられました。
「三位一体」の神の豊かな働きのもと、同じ恵みと導きをいただいている私たちもまた、この信仰の戦いを戦い抜き、永遠の命をいただきましょう
2024. 5. 19 ペンテコステ礼拝(聖霊降臨節第1主日)
< 今 週 の 聖 句 >
しかし弁護者。すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
「弁護者がいて下さる」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。 (ヨハネによる福音書14章26~27節)
「弁護者がいて下さる」 深見 祥弘
キリスト教には、三つの祝祭日があります。クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う祝祭日、イースターは、イエス・キリストの復活を祝う祝祭日、そして聖霊降臨日は、イエス・キリストが復活して50日目、聖霊が降り、教会が誕生したことを祝う祝祭日です。聖霊降臨日は、「ペンテコステ」とも言いますが、これは「50」を意味する言葉です。それでは「聖霊」とはどのような御方なのでしょうか。聖霊はギリシャ語のプネウマという言葉で、「命の息」を意味します。聖霊は、わたしたち一人ひとりに与えられる賜物で、共にいてわたしたちを新たにしてくださる御方です。共にいてくださる聖霊は、イエスが救い主であることを教え、わたしたちを信仰に導いてくださいますし、「弁護者」(14:26)としての働きもしてくださいます。今朝は、聖霊の降臨を祝うペンテコステです。
NHKで放送されている朝ドラ「虎に翼」は、日本初の女性弁護士、そして後に裁判官となった三淵嘉子(みぶち よしこ)をモデルにした作品です。女性に法曹界の門戸が開かれたのは、1933年ですが、1938年に初めて三淵嘉子、久米 愛、中田正子が高等試験(司法試験)に合格しました。
三淵が、弁護士として働きをはじめて間もなく、先輩弁護士より「この事件の国選弁護人を引き受けてくれないか」と依頼がありました。その事件は、悪辣な強姦事件で、三淵は何度も資料を読み込み、弁護ができる要素を探しましたが、被告人には一片の同情も感じられませんでした。三淵は「申し訳ありません。この事件の弁護人は、お受けできません」と、頭を下げました。先輩弁護士は残念そうに「そうか」と答え、やや間を置いて「ただね、どんな被告人にも、弁護は必要なんだ。法律の助けが、必要なんだ。それを肝に銘じておかなければ、これからの長い法律家人生は送れないよ」と諭してくれました。自分の正義と弁護士の役割、三淵は自分の選んだ道の厳しさを実感することとなりました。
(長尾剛「日本初の女性弁護士三淵嘉子」朝日文庫)
今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書14章15節~27節です。このみ言葉を含むヨハネによる福音書13章~17章は、イエスの告別説教です。最後の晩餐の席で、イエスは弟子たちに話されました。「あなたがたはわたしを捜すだろう。わたしが行く所にあなたたちは来ることができない。」(13:33)「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(13:34) 動揺して「主よ、どこへ行かれるのですか。」(13:36)と尋ねる弟子たちにイエスは「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(14:1~3)と答えられました。
このようにイエスは、最後の晩餐の席で弟子たちに、ご自分が捕らえられ、十字架に架けられ、葬られ、復活して父なる神のもとに昇天することを告げました。また、十字架と復活のイエスに従うことはできないことをも伝えられました。その上でイエスがそれを実行するのは、弟子たちのために父なる神の家に場所を用意するため、また戻って来て(再臨)、彼らを父なる神のもとに迎えるためであると言われたのです。それゆえに心を騒がせず神を信じなさいと勧められたのでした。
次にイエスは、再臨の時まで、弟子たちがどのようにして待ち、いかに暮らせばよいかを教えられました。その教えが今朝読まれた14章15節以下で述べられています。まずイエスは、自分に代わる弁護者を遣わしてくださるよう父なる神に願うので、その弁護者が来るのを待ち、その方に従うように励ましました。「弁護者」(パラクレートス)とは、「傍らに呼ばれた者」を意味する言葉で、法廷の弁護士や、それ以外でも教えや慰めを与える者のことです。イエスは、これまで弟子たちの傍らにいて教えや慰めを与える弁護者であり、父なる神に彼らの罪の赦しを願う弁護者でありました。先ほど三淵嘉子さんが、ある被告人の犯罪を、弁護士の役割を考えて合わせても、自分の正しさによって弁護を引き受けることができなかったことをお話しました。しかし、弁護者イエスは、ご自分の正しさを空しくし、罪人である者の赦しを父なる神に願い、罪人に代わってご自分を十字架に架け、弁護者としての役割を果されたお方でした。
別れを前にイエスは、自分に代わる弁護者(真理の霊)を遣わしてくださるよう願うと話されました。「真理」とはイエスのことです。「わたしは道であり、真理であり、命である。」(14:6)。イエスが去った後、父なる神は、イエスの霊(聖霊)を弁護者として遣わしてくださり、弟子たちの傍らにいて教えや慰めを与えてくださいます。また聖霊は、イエスがこれまで話したことや行なわれたことを思い起こさせ、その意味を、すなわち真理をすべて弟子たちに明らかにしてくださるのです。イエスの再臨まで、聖霊の導きに従い真理に学びながら待つようにと勧めをされたのでした。
イエスの再臨までを、どのように暮らせばよいのかの二つ目は、新しい掟を守ることでした。新しい掟とは、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(13:34)であります。この掟を守り、互いに愛し合う人は、イエスを愛する人であり、その人は父なる神から愛されます。またこの掟を守る人をイエスは愛し、再臨されるのです。イエスは、最後の晩餐の席で弟子たちに対して、弁護者である聖霊の導きに従うこと、そして互いに愛し合うこと、これこそが「わたしの平和」(14:27)であると告げられたのでした。
以前、「平和」(シャローム)とは、充たされるという意味だとお話いたしました。イエスがここで話される「わたしの平和」とは、聖霊が遣わされることにより、人々がイエスの教えや行いの意味を完全に知ることができるようになることです。すなわちイエスがいかにわたしを愛しておられたかを知ることです。またイエスが、自分だけでなく、いかに隣人を愛しておられたかを知り、イエスにならって私たちが互いに愛し合うことです。聖霊によって「イエスの平和」が、実現するのです。
聖霊降臨日は、教会の誕生日と申しました。教会は、聖霊の導きにより、イエスの話したこと行ったことを人々が共に思い起こし、真理を知る集いです。また教会は、聖霊によって一人ひとりに教えと慰めが与えられ、互いに祈り愛し合う集いです。さらに教会は、イエスによって天の父の家に住む場所が用意されていること、そこに自分たちも迎え入れてくださることを信じ確信する集いです。
聖霊が弁護者として共にいてくださり、わたしたちの教会を御心にかなった道へと導き出してくださることを信じます。わたしたちは、イエスの平和に満たされ、主より委ねられたイエスの平和(福音)を宣べ伝え、愛の業を行うという使命を果たしてまいりましょう。
2024. 5. 12 母の日礼拝(復活節第7主日)
< 今 週 の 聖 句 >
そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。
(使徒言行録11章4節)
「 順序正しく・・・ 」 仁村 真司教師
< 今 週 の 聖 句 >
そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。
(使徒言行録11章4節)
「 順序正しく・・・ 」 仁村 真司
前回は使徒言行録10章を見ました。ペトロは意を決してカイサリアに赴き、ユダヤ人の枠を乗り越えた、「異邦人伝道」に踏み出したのではないです。期せずして、それまで避けていた「汚れた物」―律法により「汚れている」とされ、接触を禁じられていた人―と関わることになった。
ヤッファの革なめし職人シモンの家に滞在していたところ、信仰心あつく神を怖れる、割礼を受けていない異邦人コルネリウスに招かれた。そしてカイサリアの家を訪れ、イエス・キリストを伝えることとなった・・・。
ですから、10章が伝えているのはペトロが異邦人に伝道するに至る経緯とも言えますが、「どんな人をも清くない者とか、汚れている者とは言ってはならない」(10章28節)・「神は人を分け隔てなさらない」(34節)、これらのことを受け入れる、分かるに至る、ペトロがそのように導かれた経緯とも言える、むしろこちらの方が中心なのではないかと私は思います。
そしてエルサレムに戻ったぺトロは、「神は人(“清いユダヤ人”とそうではない“清くない、汚れている人”)を分け隔てなさった。だから分け隔てしなければならない」とする人たちから非難されることになります。
1)
さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入
れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受け
ている者たちは彼を非難して、「あなたは割礼を受けていない者たちのと
ころへ行き、一緒に食事をした」と言った。(11章1~3節)
律法はユダヤ人が割礼を受けていない非ユダヤ人(異邦人)と共に時を過ごしたり、異邦人が触れた(汚れた)食べ物を口にする事を禁じている、それに背いた。「そんなことをしたあなたも汚れている」ということもあったのでしょう、そう言ってぺトロを厳しく非難したのは「割礼を受けている者たち」です。
ユダヤ人なら、ぺトロもパウロも、「割礼を受けている者」ですが、直訳では「割礼出身、割礼からの者たち」、文脈上イエス・キリストを信じたとしても、モーセの慣習(律法)に従って割礼を受けなければ、つまりはユダヤ人でなければ(まずユダヤ教徒にならなければ)救われないというゴリゴリのユダヤ人優越主義者たちのことと考えられます。
それに応えてペトロは、ヤッファで見た幻・カイサリアを訪れることにな
った経緯、そこで異邦人(コルネリウスたち)の上に聖霊が降ったことを報告します(4~15節)。そして17節・・・
「・・・わたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与え
になったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げ
ることができたでしょうか。」
2)
異邦人を教会に受け入れることに反対すべきではない・教会は異邦人にも福音を告げ知らせなければならない、これは神の御心である、これが10章の全てと今日の箇所、11章18節までの使徒言行録の中で最も長い物語の主題です。そして、この神の御心を最初に示され、最初に実行し、教会がこの御心に従うように導いたのは使徒ペトロである、これもこの物語の主題であり、使徒言行録が特に強調している点です。
今日の箇所の終わりの18節・・・
この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさ
せ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。
続く19節には「⋯迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロ
ス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」、つまり「ユダヤ人にしか語らなかった」とあります。
18・19節を合わせれば、ペトロ以前に、今日の箇所のペトロの話を聞くまで、教会に異邦人に関わることに反対する人はいても、異邦人に伝道しようなどという人はいなかったということになります。
ですが、これは事実ではないと考えられます。そもそも使徒言行録の中に明らかに矛盾する記述があります。フィリポがエチオピア人(異邦人)
の宦官に福音を告げ知らせ洗礼を授けたとありますし(7章26節~)、おもしろいのは20節です。19節の「ユダヤ人以外のだれにも(ユダヤ人にしか)・・・語らなかった」に続けて「しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々(異邦人)にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」と記されています。多分こちらは事実だと思います。
使徒言行録は「何事も(何が何でも)使徒からはじまった」、簡単に言うとそういう図式で初期のキリスト教・教会の歴史を捉えていますが、一方でこの図式からはみ出す、矛盾するような事柄も多く伝えています。
10章のペトロのコルネリウス訪問についても、何が何でも使徒によってはじめて異邦人にキリスト教が伝えられた記念すべき画期的な出来事として伝えようとしている一方で、それにしては「精彩を欠く」というよりも「等身大の・本当の」のような気がしますが、ぺトロの姿を伝えています。
はじめにも言いましたようにぺトロは異邦人に伝道しようと意を決してカイサリアに赴いたのではありません。散々躊躇して終始及び腰だった。けれども異邦人であるコルネリウスに招かれて伝道することとなった。
「そのようなぺトロが・・・」ということが今日の箇所のポイントです。
意志や熱意、理論や理屈があったのではなく何もなかった。そのようなペトロがエルサレムで事の次第を報告すると、「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」、律法に違反したと厳しく非難していた「割礼を受けた者たち」を含む人々は「静まり・・・神を賛美した」(18節)。どうしてこのような事が起こり得たのでしょうか・・・。
3)
そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。(4節)
これに続く5〜15節は10章10~21節・30~33節・44節と、著者ルカはす
ぐ前に自分が書いた文章をほぼそのまま写したのでしょう、殆ど同じです。
それでルカは文章が下手等と言われていて、私も上手いとは思えませんが、ある意味ではこの時のペトロをうまく表現していると思います。
もしもぺトロが「異邦人伝道は神の御心なのだ。私にそれが示されたのだ」等という言い方をしていたのならば、「割礼を受けた者たち」の論拠もモ
ーセを介して示された神の御心・神の言葉である律法、ですから切りが無い「神学論争」の末、結局は物別れに終わったのではないかと思います。
ですが、ペトロは示された神の御心に対して終始及び腰であった自分のことも含めて、そのままの事実を伝えたのでしょう。
そのままの事実は「異邦人伝道」というような言葉では伝えられません。違う話になってしまいます。コルネリウスたちとの出会い、関わり、そのように導かれたこと。その一部始終をペトロは「順序正しく」伝えた。
ルカはその福音書のはじめに「すべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いて」(ルカ福音書1章3節)と記し、イエスと人々との出会い・関わり―病いに苦しむ人を癒し、教えを求める人には教えを語り、罪人とされていた人たちと飲み食いした―等多くはこの世のイエスの事実によってイエス・キリストを伝えています。
そして、ルカはそのようなつもりで書いたのではないと思いますが、ペトロは(も)順序正しくそのままの事実を伝えたことによって、神の御心・神の働きが「割礼を受けた者たち」を含む人々に伝わったのだと思います。
2024. 5. 5 教会創立123年記念礼拝(復活節第6主日)
< 今 週 の 聖 句 >
あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。 (ヨハネによる福音書16章33節)
「世に勝っている」 深見 祥弘牧師
< 今 週 の 聖 句 >
あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。 (ヨハネによる福音書16章33節)
「世に勝っている」 深見 祥弘
教会創立123周年を迎えました。私たちの教会は、1901年5月9日「八幡組合基督教会」という名で設立されました。着任以来、少しずつ教会の歴史をたどってきました。昨年のこの礼拝では「社会的混迷の中の教団と教会」というテーマで、1968年~1977年頃の教会や教区・教団についてお話いたしました。13回目となる今回は、「地域に開く教会」(百年史)をテーマに、1978年~1992年頃の教会についてお話いたします。
この期間、牧師・教師として働きをしてくださったのは、高橋昇牧師(1978年4月~1991年5月)、高橋津賀子牧師(1991年6月~1992年3月)、そして代務者府上征三牧師(1992年4月~1993年3月・洛陽教会)でありました。また担任教師として、山本光一、入 治彦、柴田もゆる、片岡広明、森下耕各教師、名誉牧師は高橋虔教師、在籍教師は坂本雅紀教師でありました。
高橋昇牧師と共に働きをした教会を顧みる時、課題としたことが三つありました。課題の一つは、「伝道する教会」です。この頃、現在と同じく年間標語を定めていますが、幾つか紹介しますと、「福音を宣べ伝えよ」、「伝道する教会―創立80周年に向って」、「伝えよう、主のよろこびを。一人が一人に」とあります。「百年史」には、高橋昇牧師が「慎重な中に強い宣教の使命感をもって牧会にあたっていくことになる」と書いています。背景に、前任の赤阪牧師が働きをされた時、近江兄弟社との関係(近江兄弟社宣教部と教会が一体化してきた関係)を解消し町の教会となったこと、(株)近江兄弟社の倒産と再建といった出来事があります。こうしたことによって、教会は宣教の主軸をこの町の人々に向けることが必要となりました。「教会が地域社会にあって祝福の基」(百年史)となることを宣教の課題としたのです。1980年には、伝道部、青年会、高校生会の奉仕により堀上地区での開拓伝道がはじまりました。しかし1987年には、この堀上土曜学校を休止することになりました。近江兄弟社と教会が結ばれていた時は、年毎に新たな方々が教会のメンバーとなりましたが、それがなくなり、在籍教会員の年齢が高くなる(高齢化)ことでいろいろと問題が生じ始めたのです。堀上土曜学校も、奉仕していた青年たちが社会人となり、後を継いで働きをする青年たちがいなくなりました。また教会の働きの母体となっていた婦人会、組会もまた、会員の高齢化と女性たちの社会進出によって、これまでのように活動ができなくなりました。1985年には、永眠者数が受洗・転入者数を上回るようになり、礼拝出席が困難になる高齢者の増加、さらにCS生徒数が全国的に急激に減少する現象が、私たちの教会でも現れてきました。百年史には、「これが、今後の教会の課題であると定期総会報告書に総括されているが、抜本的な対策は提示できていない。」と記述されています。
課題の二つ目は、会堂の焼失と再建についてです。教会が創立80周年を迎えた年、1981年12月27日の礼拝後に会堂から出火、外形を残す形で焼失しました。そのため1982年1月より教育館CSホール、そしてYMCA体育館をお借りして礼拝・集会を行いました。同月、臨時教会総会を開催し、会堂再建を決議しました。外形の残った会堂を修復する案も出されましたが、新しく立て直すことに決定しました。年間標語を「艱難・練達・希望―教会の再建をめざして」とし、教会員一同が物心両面で一致協力することを呼びかけました。会堂建築のために教会員や外部に会堂献金の協力を願い、6千万円の予算で新会堂の建築に取り掛かりました。1982年12月26日上棟式、1983年5月8日創立記念日に献堂礼拝、式典・祝賀会を行いました。さらに、1984年8月には、教会総会で「旧地塩寮を3500万円で購入する件」を決議し、購入と改修工事を行い、牧師館として使用することとしました。会堂・牧師館は、地区や教区の教会関係集会に、また地域にも開放して利用してもらうこととしました。しかし、会堂再建に際しては、20名余りの兄姉が教会を離れてしまわれたことも記憶に留めなければなりません。
課題の三つ目は、1989年の「天皇の代替わり」をめぐることです。「代替わり」に際し、天皇制と教会をめぐって教団・教区・滋伝協において集会等が催され、活発に議論がなされました。当教会においても、この年の標語を「イエスは主である―信仰告白に学ぶ」とし、2月、社会部青年部共催での学習会「キリスト教信仰と天皇制」(講師、教団総会議長後宮俊夫牧師)を開催しました。また同月伝道部教育部共催の特別礼拝にも後宮俊夫牧師を招き説教「キリストに従う者」、同日行なわれた信徒学習懇談会で「戦争責任告白を学ぶ」とのお話を聞きました。
13年間教会に仕えてくださった高橋昇牧師は、1991年5月6日召天されました。1991年6月より1992年3月まで高橋津賀子牧師が任を負うてくださり、4月より府上征三牧師(京都教区議長、洛陽教会)が代務者として働きをしてくださり、1992年4月、佐藤與紀牧師が着任されました。
今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書16章25~33節です。この箇所は、
13章から始まり17章で終わる「イエスの決別説教」の結びの部分です。
イエスは、最後の晩餐の席で弟子たちにご自分が捕らえられ十字架に架けられ、神のもとに帰ることを告げます。またその際、弟子たちがイエスのもとから逃げ出すことを予告します。同時にそんな彼らに希望の言葉を与えられました。その希望とは、イエスが十字架の業を成し遂げ父のもとに帰った後、弟子たちに聖霊が与えられること、聖霊が与えられるとはっきりと父なる神のみ旨を知ることのできるようになることです。さらに聖霊が与えられるその日より、弟子たちはイエスの名によって父なる神に祈ることができるようになり、その祈りが聞かれることです。祈りの聞かれる理由は、弟子たちがイエスを父から派遣された神の子であることを信じ、父の愛が彼らに留まるようになるからです。後に弟子たちは、イエスのもとから逃げ出し、閉じこもる家においてこのイエスの言葉を思い起こしたのです。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」ここで言う「世」とは、神と人、人と人とを分断し孤立させる存在のことです。「世」は一度、イエスと弟子たちを分断させることに成功しました。しかし主イエスの名によって弟子たちが祈ることで、弟子たちと主イエスはしっかりと結ばれ、また弟子たちが互いに結ばれ、苦難の中にあっても勇気をいただくことができたのです。そして弟子たちは、閉じこもっていた家を出て、伝道にいそしむようになったのです。十字架と復活の主イエスが弟子たちと共に世と戦われる時、すでに彼らは分断と孤立をもくろむ世に勝利をしているのです。
2024年の私たちが教会の課題としていることの多くが、今朝お話した1978年~1992年頃に端を発するものであることを知りました。CS生徒の減少、教会員の高齢化、永眠者が入会者を上回る状況、教会施設の老朽化、教会員の社会進出と多忙、そして個人主義などです。私たちが福音宣教の働きをする「世」は、イエスと人の関係、人と人との関係を分断し孤立させようとする存在です。しかし父なる神が神の子イエスによって結んでくださった関係を、世は決して空しくすることはできません。イエスは「わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。」と言われました。私たちには、父なる神と主イエスと聖霊なる神が共にいてくださり、イエスの名による祈りによって神と人、人と人とを結んでくださるのです。祈りによってみ旨を知り、希望をもって働きをいたしましょう。