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≪次月 6月(2024)礼拝説教要旨 前月≫

2024. 6. 30 聖霊降臨節第7主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。

(ヨハネによる福音書4章50節)

 

「あなたの息子は生きる」     深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。

(ヨハネによる福音書4章50節)

 

「あなたの息子は生きる」     深見 祥弘

「見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ福音書20:29)  今朝のみ言葉、ヨハネによる福音書4章43節~54節「役人の息子をいやす」話は、このことをわたしたちに伝えようとしています。

 

 イエスは、エルサレムからガリラヤに向かう途中、二日間サマリアに滞在しました。イエスにとってガリラヤは、幼い頃から暮らしてきた故郷というべき場所です。でも以前、イエスはその故郷について、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ。」と話されたことがありました。それは旧約時代の預言者たちが神の預言を語っても、故郷の人々は幼い頃から預言者を知っていたので、これまで自分たちが見てきたことを信じ、その言葉を聞かなかったことによります。イエスもこれと同様の体験をされました。イエスが故郷の会堂で教えをしたとき、人々は驚いて「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。」(マタイ13:54~56)と言いました。これを聞いたイエスは「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである。」(マタイ13:57)と言われました。

 

 ガリラヤに到着すると、人々はイエスを歓迎しました。敬われないはずの故郷で、イエスは歓迎されました。それには理由があって過越祭の時に、イエスがエルサレムでおこなった奇跡を見た人々がそこにいたからです。

2章23節以下に「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。・・・イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」とあるとおりです。「しるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。」、イエスは、見ることでしか信じることのできない故郷の人々を、見ないで信じる信仰へと導こうと、ガリラヤにこられたのでした。

 ガリラヤに到着するとイエスは、カナに行かれました。カナは、イエスが最初のしるし(奇跡)をおこなった町です。そのときイエスは母マリア、弟子たちと共にカナで行われた婚礼に招かれ、その祝宴の席で、水をぶどう酒に変える奇跡を行いました。(2:1~11)  イエスが最初に行われた奇跡です。この時これを見た弟子たちは、イエスを信じたのでした。まさに見て信じる信仰の地ガリラヤにあって、カナはその出発点とも呼べる地でありました。その地に再び、イエスは来られたのです。

 

 イエスは、カナで王の役人と出会いました。彼は、領主ヘロデ・アンティパスに仕える役人(高官)でした。彼の息子は病気で、彼は瀕死の息子を助けようと、様々に手を尽くしますがよくなりませんでした。そうしたとき、過越祭で奇跡(病気の人を癒すこと)を行ったイエスが、カナに来ていることを教える者がいました。王の役人は、すぐにカファルナウムからカナまで出かけて行き、イエスにカファルナウムまで下って来て、息子を癒してほしいと頼みました。カナはカファルナウムの西方30キロ、両方の町は標高差が600mあり、王の役人は一日以上の時間をかけて道を上ってきたのでした。

 イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない。」と言われました。それは、“あなたがたはエルサレムでわたしの奇跡を見たので信じてここに来た。しかしその信仰は不十分なものである。見ずして信じる信仰に立つようにしなさい”ということです。でもこの言葉は、役人には届きません。役人は信仰の不十分を露わにしつつ「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と懸命に願いました。彼は、イエスに来ていただかなければ息子はよくならない、遠く離れていては癒すことができないし、それも死なないうちにでないといけない、死んでしまっては生き返らせることもできないと考えました。つまりイエスの力に限界があると思って願ったのです。

  お話している「役人の息子をいやす」話の並行記事は、マタイ8章5~13節、ルカ7章1~10節にある「百人隊長の僕をいやす」お話です。百人隊長の僕が重い病を得たとき、百人隊長はイエスのもとに使いの者を遣わし、僕の癒しを願ってこのように言うように命じました。「主よ、御足労には及びません。・・・ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」(ルカ7:6~8) イエスは「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」と言い感心されました。そして使いが家に帰ってみると、僕は元気になっていたのでした。

 

 イエスは言われました。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」 役人は、

「あなたの息子は生きる」このイエスの言葉を信じて帰っていったのです。

午後一時のことでした。役人がカナからカファルナウムへの下りの途中でのことです。家に仕える僕たちが、彼を迎えにきました。僕たちは、一刻も早く息子が快復したことを伝えようとして、またイエスに来て頂く必要のないことを伝えようとやってきたのです。役人が彼らに息子の病気の良くなった時刻を尋ねると、「きのうの午後一時に熱が下がりました。」と答えました。役人は、その後、家族共々イエスを信じたのでした。

 

 カナでのイエスの「最初のしるし」が、水をぶどう酒に変える奇跡で、これを見て弟子たちはイエスを信じました。カナでのイエスの「二回目のしるし」は、役人の息子のいやしで、それは言葉によってなされ、王の役人と家族がイエスを信じました。「見ないのに信じる人は、幸いである。」イエスは人々をこの信仰に導くために、故郷ガリラヤに、そしてカナに来られました。イエスが病人のそばにいなくても、その人が死んでいても イエスの言葉「あなたは生きる」「あなたの息子は生きる」を信じるならば、新たな歩みをはじめることができるのです。「帰りなさい。あなたの息子は生きる」の「帰りなさい」は、「行きなさい」という意味の言葉です。英語の聖書では、“Go your way:your son lives.”と訳しています。「もとのところに帰りなさい」ということでなく、イエスへの信仰によって、新しくなって生きなさいと励ましているのです。その言葉によって、王の役人とその家族はこぞって信じ、新しい歩みをはじめたのでした。

 

 役人の息子のいやし、死んだラザロのよみがえり、そしてイエスの死と復活、この出来事を今わたしたちは言葉で聞きます。わたしたちは、その出来事を見てイエスを救い主と信じたわけではありません。時代も地域も遠く離れているわたしたちですが、聖書を通して語られるイエスの言葉によって信じる者とされたのです。「あなたは(あなたの息子は)生きる。」このイエスの言葉によってわたしたちは、イエスを救い主と信じ、生きている者も死んだ者も、新たにされて生きることをゆるされるのです。

2024. 6. 23 聖霊降臨節第6主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。」                          (ヨナ書4章10~11節)

 

     「惜しむ神」        深見 祥牧師

< 今 週 の 聖 句 >

すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。」                          (ヨナ書4章10~11節)

 

              「惜しむ神」        深見 祥弘

 今朝のみ言葉は、旧約聖書ヨナ書です。ヨナ書は、ホセア書からマラキ書までの12小預言書の一つです。これからお話するヨナは、預言者です。 ヨナが働きをしたのは、ソロモン王の後、南北に分裂した一つ北王国イスラエルにおいてで、王ヤロブアムⅡ世の在任時(BC786~747)でありました。

 

 主がヨナに言いました。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」(1:2)

これまでヨナは、北王国の人々に主の言葉を語ってきました。預言者として人々の罪を指摘し主の裁きを告げました。それにより、あるときは迫害をうけることもありましたが、同胞の悔い改めと救いのために苦難に耐えながら働きをいたしました。

 しかしこの時、主がヨナに与えた使命は、アッシリア帝国の都ニネベにいき、「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」と預言することでした。

アッシリア帝国は、この時代この地域の覇者であり、北王国を苦しめていました。ヤロブアムⅡ世の治政より20年後のBC724年、北王国はアッシリアに滅ぼされてしまいます。そうした状況の中で主は、ヨナにニネベに行き、滅びの預言をせよと命じられたのです。

 ヨナは思いました。“なぜ、自分たちを苦しめているアッシリアの住民のところに出かけて行って、悔い改めなければ四十日後に滅びると告げなければならないのか。ニネベなど滅びてしまえばいいのだ。たとえ私が行っても、都の人々はわたしの言葉に耳を傾けることはないだろう、それどころか、わたしを捕らえて殺してしまうだろう。”

 

 ヨナは、ヤッファ港からタルシシュ(スペイン南部)行きの船に乗り込み、主の前から逃げ出しました。主はそれを知ると、大風を放ちました。尋常ではない嵐に船乗りたちは、乗船者の中にこの嵐の原因となっている者がいると考えて調べ、その原因がヨナであることを知ると、彼を海に投げ込みました。ヨナは、荒れ狂う海に沈みながら思いました。わたしは主の命令にそむいたのだから死んでも仕方がないが、それでもニネベの者の手にかかって死ぬよりはましだ。

 ところが主は、ヨナを惜しみ、巨大な魚に命じてのみ込ませたのです。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいて、祈りをささげました。「苦難の中で、わたしが叫ぶと 主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると わたしの声を聞いてくださった。・・・息絶えようとするとき わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き 聖なる神殿に達した。・・・わたしは感謝の声をあげ いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。」(2:3~10)  主が命じると、魚は深い海の底からヨナを運び、彼を陸地に吐き出しました。

 

 主は、再びニネベに行くように命じました。ヨナは、主の命じられたとおり、直ちにニネベに行き、「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」(3:4)と歩きながら叫びました。都ニネベは、一巡りするのに三日かかります。しかしヨナが一日歩いただけで、その言葉を聞いた身分の高い王や大臣、そして身分の低い者まで、粗布をまとって悔い改め、主はそれを見て災いをくだすのをおやめになりました。ヨナは、ニネベの人々の悔い改めに驚くとともに、主がこの都の人々を赦されたことに驚きました。

 ヨナは思いました。“わたしは、主の命令であったのでニネベにきて、預言をした。その預言は、悔い改めを呼びかける預言ではなく、滅びの到来を告げるものであった。それなのにニネベの人々は、悔い改めて赦された。”

 ヨナは、怒り、主に訴えました。「主よ、わたしはあなたが先にイスラエルを軽んじ、敵であるニネベを重んじているように感じたので、タルシシュに向けて逃げました。しかし、あなたはわたしを海の底から救い出してくださいました。それにより、わたしの思いは誤りで、あなたはイスラエルを愛し、敵であるニネベを罰せずにはおかない正しい方であるとわかりニネベに来ました。でもわたしは再びあなたに裏切られた思いでいます。あなたは敵に対しても、恵みと憐みの神であり、災いをくだそうとしても思いなおされる方です。主よ、わたしの命を取ってください。わたしは、わたしのなした預言で敵を救ってしまったのですから。」

 

 こう訴えるとヨナは、都を見渡せる場所に小屋を建ててそこに座り、主が自分の命を取り去るか、ニネベを滅ぼすかを見定めようとしました。小屋があるとはいえ、そこはとても暑い場所でした。主はヨナに、とうごまの木を日よけのために与えてやりました。ヨナは、主が案じてくださっていることを知り、主はわたしをお救いになられたと喜びました。ところが次の日の明け方、主は虫に命じてとうごまの木を食い荒らさせ、枯らしてしまいました。また主は東風と太陽に命じ、暑さでヨナを苦しめました。ヨナは、やはり主がニネベの人々を救い、わたしを滅ぼされると思い、「生きているよりも、死ぬ方がましです。」(4:8)と言いました。

 主は言われました。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」(4:10~11)

 

 ヨナが働きをしたのは、北イスラエル王国、ヤロブアムⅡ世の時代です。しかしヨナ書が書かれたのは、それから四百年後、バビロン捕囚より人々が祖国に帰還した後のことでした。「苦難の中で、わたしが叫ぶと、主は答えてくださった。・・・救いは、主にこそある。」(2:3.10) 帰還した人々は、律法を基にして国を再建しようとしました。主は律法に従う民を救われる、そのような考えで再建をめざしたのです。しかしヨナ書は、主の救いの計画と愛に心を留めることを求めます。主は正しい方ですから、人の罪を見過ごしにはされません。律法に基づく考えです。でも主の目的は人を裁く事ではありません。その目的は「右も左もわきまえぬ人間」(主を知らない人)にも、救いの福音を告げ知らせ、その罪を赦して救いに入れることです。主がヨナを魚の腹の中から救ったのも、とうごまの木を与えたのも、彼が正しい人であったからではなく、逃げ出して怒る罪人のヨナが滅びることを惜しまれたから、救ったのです。また主がヨナを用いてニネベの人々を救ったのも、彼らが力ある国の民であったからではありません。主が主を知らない彼ら、イスラエルに敵対する彼らを惜しまれたからです。

 主は、救いの計画の実現のために第二のヨナであるイエスを遣わし、救いを与えてくださいました。イエスもまた、三日三晩、陰府の底にいて引き上げられました。ここにいるわたしたち一人一人も、この神の救いの計画の中に覚えられています。罪人であるわたしを惜しむ神は、わたしのために我が子を惜しまずささげてくださいました。ここに愛があります。

2024. 6. 16 聖霊降臨節第5主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。                (使徒言行録11章20節)

 

「『クリスチャン』のはじまり」    仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。                (使徒言行録11章20節)

 

「『クリスチャン』のはじまり」    仁村 真司

 このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるよう

になったのである。(11章26節)

ここは口語訳では「このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった」となっています。

「私はキリスト者」・「私はクリスチャン」、他に「キリスト教徒」等、自分がイエス・キリストを信じる者であることをどう言い表す示すのがピッタリと来るでしょうか。

私自身は「クリスチャンです」というのはちょっと照れ臭いというのか何かそんな感じで、といって「キリスト者」とか「キリスト教徒」というのは堅苦しいような気がして、その時々で何と言っているのか、実ははっきりしないのですが、それはともかくとして、原語(ギリシア語)の「クリスティアノス」は英語の「クリスチャン」にほぼ対応していて、「クリスチャン」は日本語として(「キリスト者」よりも)定着しています。それで今回の説教題は「『クリスチャン』のはじまり」にしました。

  1)

「キリスト(Christos)」に形容詞語尾(-ianos)がついて「クリスティアノス(christianos)」になっているのですが、聖書の中では「へロデ派(ヘロディアノス)」も同じ成り立ちの語です。

「へロデ派」は新約聖書、それもマルコ福音書とマタイ福音書にチョロッと出て来るだけで、他の古代の文献には出て来ません。もしかしたらマルコの造語なのか、マルコの周りの人たちしか使っていなかった語なのか・・・。

なので、ヘロデ王家と関わりがあり、イエスを疎ましく思っていたらしい(例えばマルコ福音書3章6節「ファリサイ派の人々は出て行き、早速、へロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた」)等の他には、どういう人たちのことなのか、詳細は分かりません。

では「クリスティアノス」、「クリスチャン」は元々どういう人たちを指し示すのに、どういう人たちが用いるようになったのでしょうか。

「へロディアノス」を「へロデ派」とするならば、「クリスティアノス」を「キリスト派」としてもおかしくはないです。そして初期のキリスト教・教会は「ユダヤ教キリスト派」と言ってもおかしくはない状況でした。

エルサレムを拠点とするペトロたち使徒はユダヤ教の“頂点”である神殿を崇拝していましたし、教会が割礼を受けていない者(異邦人)受け入れることに反対し、割礼を受けなければ(つまりはユダヤ教徒でなければ)救われないとする人たち(「割礼を受けている者たち」11章2節)も沢山いましたから、ユダヤ教徒でイエス・キリストを信じる人たち、「ユダヤ教キリスト派」と言えなくもありません。

ですが、このよう意味で「クリスティアノス」、「クリスチャン」という語が用いられるようになったのではないと思います。

  2)

「クリスチャン」は英語で、今では日本語でも、普通に用いられている語ですが、その元の「クリスティアノス」はキリスト教の古い文献にあまり出て来ません。新約書の中でも三カ所だけです。使徒言行録では今日の箇所(11章26節)と26章28節、もう一ヶ所はペトロの手紙一4章16節ですが、どうも使徒言行録の著者ルカは「アンティオキアで、弟子たちが初めてクリスチャンと・・・」と伝えながらも、自分自身は積極的に「クリスチャン」という語を用いる気がなかったようです。

こういったこともあって、「クリスチャン」という語が用いられるようになったのはもっと後の時代のことで、こんな早い時期から自分たちはユダヤ教徒とは別のキリスト教徒等と思うはずがない(「アンティオキアで、初めて」ではない)、あるいはキリスト教徒みずからが「クリスチャン」と言い始めたのではなく、元々は外部の人たちないしキリスト教を弾圧した人たちがそう呼んだのだ等と考える人たち(学者)が沢山出て来ました。

それでなのか、26節は「クリスチャン(キリスト者)と呼ばれるようになった」と殆どの訳で受け身になっていますが、この文は受け身ではないです。アンティオキアで初めて弟子(信者)たちが、だれかから「クリスチャン」と呼ばれたのではなく、自ら「クリスチャン」と称した、自分で「クリスチャン」と言ったということです。

「(他の人から)呼ばれた」であっても、「(自ら)称した」であっても、いずれにしても使徒言行録(11章26節)の記述は事実に反すると考える人が多いということですが、何事についても初めて用いられることと、広く用いられるようになることとは話が別です。

また、新約聖書中の文書でアンティオキアやその周辺で書かれたものはありません。従って新約聖書に三回しか出て来ないのは「クリスティアノス(クリスチャン)」が元々、「ユダヤ教キリスト派」とも言えそうなエルサレム教会等とはかなり違う、アンティオキアの信者たちの意識・働きに結び付いて用いられるようになった語だからと考えることもできます。

3)

ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外(=異邦人)のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々(=異邦人)にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。(19~20節)

「異邦人に語らなかった。しかし、異邦人にも語りかけた」というこの記述は明らかに矛盾しているのですが、事実としては迫害のため散らされた人々はアンティオキアへ行き(行く途中でも)「異邦人」に語りかけていました。ペトロのコルネリウス(異邦人)訪問(10章)以前にはだれも「異邦人」に語らなかったというのは、迫害されず散らされず、迫害があった翌日も何事もなかったようにエルサレムで活動を続けていたペトロたち使徒グループの「ユダヤ教キリスト派的意識」を現しているとも言えます。

迫害されエルサレムから散らされた人々は「ギリシア語を話すユダヤ人」(6章)です。この人たちにとって、アンティオキア(ローマ帝国支配を象徴する大都市)でギリシア語を話す人々(異邦人)にも語りかけたのは、「異邦人伝道に踏み出す」というような意識からしたことではなく、出会い、関わった人たちに分け隔てなくイエス・キリストを伝えた、ただそれだけの普通で当然のことであったと思います。私はこの人たちはどこかイエスと重なるような気がします。(例えばマルコ福音書7章24~30節、ここでイエスはギリシア人、「異邦人」と、普通に関わっています。)

また、このような人たちの働きにより信者となった「異邦人」にユダヤ教(の一派)に属したという意識があったとは考えにくいです。

そういう当時のアンティオキア教会で、イエス・キリストを信じ、伝え、伝えられた人々がみずから、自分たちのことを「クリスティアノス」と言った、それが「『クリスチャン』のはじまり」だと私は考えています。

とすれば、「キリスト教」より先に「クリスチャン」があったということになります。そして「クリスティアノス」は「キリスト的な者」ということです。この「キリスト」は勿論「油注がれた者」 という普通名詞ではありません。固有名詞、「イエス・キリスト」の「キリスト」です。

つまり「クリスチャン」とは元々「イエス・キリスト的な者」、イエス・キリストに従い、イエス・キリストと一緒に生きようとする者のことではないか・・・。この意味においてクリスチャンでありたいと私は思います。

2024. 6. 9 聖霊降臨節第4主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、

だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。                                  

(ヨハネの手紙第一2章27節)

 

 「御子から注がれた油」      深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、

だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。                                  

(ヨハネの手紙第一2章27節)

 

           「御子から注がれた油」      深見 祥弘

 今朝のみ言葉は、ヨハネの手紙第一2章18~27節です。この手紙は、ヨハネ福音書より少し遅い1世紀末~2世紀はじめ、シリアから小アジアのいずれかの地で書かれました。著者は、ヨハネ福音書が書かれた地域の教会の指導者です。これは手紙と名付けられていますが、特定の教会や個人に宛てて書かれたものではなく、広く読まれることを期待するトラクトのようなものです。手紙の目的は、グノーシス主義者(仮現論者)の教えに対し、キリスト教信仰を明確にすることです。グノーシス主義者は、イエス・キリストの神的本質は終始不変であり、キリストの降誕、受難、十字架は仮現にすぎないと教えました。すなわち人間イエスが洗礼を受けた時に、キリストが降り、十字架を前にしてキリストは離れたと主張しました。   

このグノーシスについては次のように解説されています。「外なる宇宙も人間も神的・超越的な本質(光、霊)と物質的・肉体的実体(闇、物質、肉体)とに二元的に、あるいはその中間の原理(心魂)を含めて三次元的に分裂している。個々の人間の内に宿る神的本質は肉体と物質の領域、さらには心魂の領域を越えて、超個人的・超宇宙的な神的本質と同質であり、この本質のもとへ回帰・合一することによってのみ個人は救済される。そのためには人間は後者の領域から到来する啓示を通して、自己の中に眠る神的本質、その由来と行く末を認識しなければならない。この覚知的認識が『グノーシス』と呼ばれる。」(岩波キリスト教辞典)  

 

 今朝のみ言葉に「油」(オリーブ油)が出てきます。20節に「しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。」、また27節には「しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要はありません。」とあります。「聖なる方から油が注がれている」、「御子から注がれた油」という言葉から、この「油」とは聖霊であることがわかります。復活のイエスは、40日にわたり弟子をはじめ人々に現れ、「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。」(ルカ24:49)と約束されました。そして復活から50日目、弟子たちが集まっていた家に、聖霊が降ったのでした。父なる神のもとに行かれたイエスから注がれた油・聖霊が、弟子をはじめ信じる人々に与えられたことで真理(イエスが救い主であること)を知ることができるようになったのです。コリントの信徒への手紙第一12章3節には、「神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」とあります。

 旧約聖書では、祭司、王、預言者に務めが与えられる際、油が注がれました。それは神の祝福、聖別の象徴です。またキリスト教で油は聖霊のたまもののしるしであり、洗礼、堅信、叙階、献堂などで、さらには病者の塗油の秘跡で用いられました。

 この病者への塗油は、イエスの弟子によって行われました。「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。」(マルコ6:12~13) さらに信者も行いました。「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。」(ヤコブ5:14~15)

 今もカトリック教会では「病者の塗油」を行います。司祭が、「神である父よ、あなたはひとり子キリストを通して病人を慰め、力づけてくださいます。わたしたちの祈りを聞き入れ、からだを強めるために、木の実からとれた この油の上に、慰め主である聖霊を おつかわしください。この油を注がれるすべての人が あなたの祝福を受けて、からだと心の健康をとりもどし、すべての病気と苦しみから解放されますように。全能の神である父よ、あなたによって祝福された このとうとい油が わたしたちの助けとなりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。」と祈ります。そして病者の額と両手に塗油をしながら、「この聖なる塗油により いつくしみ深い主・キリストが 聖霊の恵みであなたを助け、罪から解放して あなたを救い、起き上がらせてくださるように。アーメン。」と唱えます。(「祝福の祈り」カトリック札幌教区典礼委員会)

 

 著者は、多くの反キリストが現れている現状(キリスト教を迫害する者や御子を救い主と認めない者)を見て、終わりの時(主の再臨)が近づいていることを感じこの手紙を書いています。彼らによる試練は、信仰(教会)にとどまる者と信仰(教会)を離れる者を分け、その信仰が真のものであったか否かを明らかにします。

 グノーシス主義の影響を受けたキリスト者は、次のように考えました。人は本来自らの内に神的本質を宿しており、キリストに触発されることで、宇宙的な神的本質のもとに回帰合一する。一度キリストに触発された者は、霊的な存在となって救われ、たとえ世にあって悪しき者であろうともそれを問われることはない。

 これに対しキリスト者は、こう信じていました。人の内には、神的本質を宿してはおらず、そこにあるのは罪です。しかし神は、神の子イエスを罪人のもとに生まれさせ、罪なきイエスに人々の罪を負わせて十字架に架けてその罪を贖い、イエスの復活により新しい命を備えてくださいました。さらにキリストは、人々に聖霊を注ぎ、イエスが救い主であることを明らかにされました。今、人々の内にあるのは、神的本質でも罪でもなく、聖霊です。聖霊が人々の内にあって、イエスがメシア(救い主)であることを知らせ、人々を「イエスは主である」との信仰告白に導かれたのです。

今、試練の中にあって惑わされている教会の人々は、かつて聖霊を注がれ、聖霊の教えを受けてイエスが救い主であることを知り、信仰を告白しました。だからその時のことを思い起こし、御子から注がれる油(聖霊)によって、もう一度奮起しこの試練を耐え忍び、終わりの時を迎えようと、この手紙の著者は励ましているのです。

 

私たちは、世の終わりの時(主の再臨の時)に向けてどのように備えればよいのでしょうか。それは、祈りによって日々新たな聖霊をいただき、内なる聖霊の教えに従い、御子の内に、すなわち教会にとどまることです。

もう一つ私たちが生涯の終わりを目前にする時、どう備えをすればよいのでしょうか。それもまた「からだを強めるために、この油の上に、慰め主である聖霊を おつかわしください。」と自分で祈り、信仰の師・信仰の友に「いつくしみ深い主、キリストが聖霊の恵みであなたを助け、罪から解放して、あなたを救い、起き上がらせてくださいますように。」と祈っていただくことです。私たちは、聖霊をいただいてイエスが救い主であることを知り、その働きによって信仰を告白し、洗礼を受けました。しかし聖霊である油を私たちの内に宿しつつも、弱さの中で試練を受けることもあるのです。その時には、我が油の上に、新たに聖霊をお遣わしくださいと祈り、御子が約束された永遠の命を待つのです。

2024. 6. 2 子どもの日・花の日CS合同礼拝(聖霊降臨節第3主日)
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< 今 週 の 聖 句 >

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。                                                                    (ヨハネによる福音書16章33節)

 

   「世に勝っている」    深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。   (マタイ福音書6章34節)

 

            「野の花のように」       深見 祥弘

 今朝は、私たちの教会の子どもの日・花の日礼拝です。礼拝堂に花を飾り、子どもから高齢の方まで一緒に感謝の礼拝をささげます。また礼拝が終わったら、このお花を教会学校は止揚学園に、教会は信愛館にお届けいたします。

 

 今朝のみ言葉は、マタイによる福音書6章25~34節です。イエスは各地より集まってきた大勢の群衆を見て、山に上り教え(山上の説教)をされました。「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。・・・空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(6:25~26)

  私は、これまでこの教えを、次のように聞いてきました。

“仕事がうまくいかないとか、働けないからと言って、どのようにして生活してゆこうかと思い悩むな。空の鳥を見なさい。種を蒔くことも、刈り入れをして倉に納めることもしないのに、天の父は鳥を養ってくださる。あなたたちは、鳥よりも価値あるものではないか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。それなのに神は、野の花をソロモンにまさる美しさをもって、装ってくださる。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、食べるもの、飲むもの、着るものも与えられる。天の父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。天の父を信じなさい。”

 

 み言葉を読んで、これとは異なるメッセージが示されました。

6章25~34節に「思い悩むな」(メリムナオー)という言葉が、くり返し出てきます。このメリムナオーには、「働くな」という意味もあります。

 まずイエスは、「働くな」と教えをされました。これは弟子たちに対する教えです。この世の終わりの時が近づいているので、宣教に専念しなさい。そのことが弟子たちにとって「神の国と神の義を求める」ことであり、必要なものはすべて与えられると言われるのです。

 次にイエスは、「働け」と教えられました。これはイエスに従ってきた群衆に対する教えです。あなたたちは、種を蒔くこと、刈り入れること、倉に納めること、紡ぐことなど、その日一日力いっぱい働きなさいと言われるのです。うまくいかないこともあるけれど大丈夫、その日の仕事に勤しむことが、あなたがたにとっての「神の国と神の義を求める」ことであるので、生きていくうえで必要なものは神がすべて備えてくださるのです。

 さらにイエスは、「働けなくても大丈夫」と教えられました。これは、イエスの傍らにいる病人や体の不自由な人、歳をとった人や世にあって差別されたり疎外されたりしている人に対する教えです。イエスは、この人々に空の鳥や野の花をよく見なさいと言われます。父なる神は、働けないあなたたちをも愛し、豊かな恵みと養いを与えてくださる。あなたたちは価値ある尊い存在です。あなたがたは、その姿をもって「神の国と神の義」を証ししなさいと言われます。

 

 さらに今朝のみ言葉を読む中で示されたこととは、“神は人をどのようなものとしてお創りになられたのか。それに対して人はこれまでどのようなものであったのか。神はそのような人をどう導こうとされたのか。今、人はどのようなものなのか。”ということについてです。

 まず神は、人をどのようなものとしてお創りになられたのでしょうか。創世記1章27節には、「神は御自分にかたどって人を創造された。」とあります。人は神のみ旨を知る者として創られたということです。

 次に神は、人にどのような働きを期待しておられたのでしょうか。神は人に他の被造物を支配する働きを与えられました。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」(創世紀1章28節) 神は、神のみ旨に従って被造物を治めることを人に委ねられたのです。それに対して人はどうであったのでしょう。人は神のみ旨にそむきました。神が禁じた園の中央の木から果実をとって食べ、神のみ旨にそむくことで罪を得たのです。

 神は罪人に対してその後、何をなさったのでしょうか。神は罪人のもとに神の子イエスをお遣わしになり、人の罪のあがないのためにイエスを十字架にかけ、閉ざされていた「命の木に至る道」(創世記3章24節)を開いてくださいました。イエスは、ご自分について「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ福音書14章6節)と言われました。

 それでは、神がイエスをお遣わしになられたことで、今はどうなっているのでしょうか。まず、神がイエスをお遣わしになられたことで、人の罪は赦され、人は価値ある存在になりました。罪を得た人は、仕事のできる人を価値あるものとしましたが、イエスの贖いによって、幼子も老人も、病気の人も仕事のない人も、価値ある存在とされるようになりました。

次に神が、イエスをお遣わしになられたことで「被造物を支配する」という意味が変わりました。それまで人は、自分の命や体のために他の被造物を従わせ支配をしてきました。しかしイエスの罪のあがないによって、人は被造物を、み旨に従って治めるものになったのです。

さらに神がイエスをお遣わしになられたことで、「神の国と神の義」の実現のために、すべての人に対して使命が与えられました。初めにお話しましたが、弟子たちの使命は、「神の国と神の義」の到来を宣べ伝えることです。彼らはすべての人のところを訪ね、宣べ伝えるのです。

また種を蒔き紡ぐ人の使命は、イエスの弟子たちや病人などに食べ物や飲み物、着るものを与え、その人々の働きや生活を支えることです。このことが種を蒔き紡ぐ人の「神の国と神の義」への参与となります。

さらに病人や体の不自由な人、年配の人などに与えられた使命とは、福音を伝える弟子たちや、衣食で支えてくれる人々のために祈ることです。この人々の「神の国と神の義」への参与は祈りによってなされます。この人々は、空の鳥や野の花のように、その姿で神の恵みを証しするのです。

 

 自らに利益を生み出す仕事の場合、それが出来る人と出来ない人がいます。しかし「神の国と神の義を求める」働き(神のみ旨を行う働き)は、すべての人が行うことのできる働きです。そしてこの働きに参与する人々には、必要とするすべてが備えられるのです。イエスは「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。」(マタイ福音書5:6)と言われました。

 神は、過去、現在、未来を支配する御方です。それゆえに神ご自身が、明日のことを思い悩んでくださいます。イエス・キリストを人々のところに遣わして十字架に架け、人の罪をお赦しになられた・・・このことによって父なる神の思い悩みを知ることができます。私たちは、明日を知り思い悩む御方に委ねればよいのです。神は、日々の務め(宣教と労働と祈り)を果す人、すなわち信仰と愛に生きる人を、「野の花のように」貴い存在として愛し、思い悩みから解き放ってくださるからです。

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