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≪次月 3月(2024)礼拝説教要旨 前月≫

2024. 3. 31 イースター礼拝
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マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。(ヨハネ福音書20章18節)

 

       「復活のイエス」      深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。(ヨハネ福音書20章18節)

 

            「復活のイエス」      深見 祥弘

 40日間のレント(受難節)を経て、復活の朝を迎えました。皆さん、イ―スタ―おめでとうございます。今朝は、CSとの合同礼拝ですので、子どもたちを含めここにいる皆さんにイエスさまの復活の出来事をお話いたします。

 イエスさまが十字架上で息を引き取られたのは、金曜日のことでした。アリマタヤ出身のヨセフ、そしてニコデモが、イエスさまの体を引き取って、墓にお納めしました。ヨセフはお墓とイエスさまの体を包む亜麻布、頭を覆う布を用意しました。ニコデモは、イエスさまの体に塗る香料を用意しました。

 日曜日の朝、まだ暗いうちにマグダラのマリアがイエスさまの墓にやってきました。墓は山肌の穴を利用したもので、墓の入口を大きな石で塞いでいました。「わたし一人で石を取り除けることができるかしら」と思いながら墓に来たマリアは、その石が取り除けてあるのを見ました。マリアは、走って弟子のペトロとヨハネのとこに行き、何者かによってイエスさまの体が持ち去られたと伝えました。それを聞くとペトロとヨハネは、走って墓に向いました。最初に到着したのは若いヨハネです。ヨハネが、身をかがめて墓の入口から中を見ると、イエスさまの体はなく、亜麻布だけがありました。続いて到着したペトロは墓に入ると、そこには、イエスさまの体を包んでいた亜麻布があり、離れたところに頭を包んでいた覆いが丸めて置いてあるのを見ました。ヨハネも墓に入って来くると、それを見て信じました。それから二人は、家に帰って行ったのでした。

 マグダラのマリアはというと、ペトロとヨハネを追って再び墓に戻ってきました。そして彼らが家に帰った後も、彼女は墓の外で泣いていました。泣きながら墓の中を見ると、白い衣を着た二人の天使が見えました。天使が「なぜ泣いているのか」とたずねました。マリアは背後に人の気配を感じたので振り返りながら「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分りません」と答えました。そこにはイエスさまが立っておられたのですが、マリアはイエスさまだと分りませんでした。イエスが「婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか。」と言うと、マリアは背後に立つ人が墓を管理している園丁だと思い、また墓の方を向いて「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」と答えました。イエスさまが「マリア」と呼びかけると、マリアは振り向いて「ラボニ(先生)」と答え、両腕を差し出してイエスさまにすがろうとしました。イエスさまは「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父である方、・・・あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは、弟子たちのところに行き、「わたしは主を見ました」と告げ、復活されたイエスさまが父なる神のところに上ると言われたことを伝えたのでした。

 

 今朝は、ヨハネによる福音書19章38節~20章18節についてお話しています。お話してきたことで、わからない箇所がありました。それは20章8~9節「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子(ヨハネ)も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」の言葉です。

 ペトロは、空の墓を見たけれど、主の復活を信じることができませんでした。空の墓が、何を意味するのかわからなかったのです。

 ヨハネは、空の墓を見て、主の復活を信じました。しかしその信じることが、不完全でありました。彼は、イエスが生前三度も御自分が復活することを話しておられたことを思い起こし、「空の墓=イエスの復活」と自分なりに納得して信じようとしたのでした。

 マグダラのマリアは、空の墓を見ても復活を信じることができず泣いていたのですが、復活の主があらわれ、「マリア」と呼んでくださったことで、復活を信じることができるようになりました。

 イエスの死と復活の間には、わたしたちの側からは越えることのできない淵があります。イエスが来てくださらなければ、また呼びかけてくださらなければ、わたしたちには渡ることのできない深い淵が存在するのです。

 

 復活信仰は、「空の墓=イエスの復活」という図式から生まれてくるものではなく、復活のイエスが来てくださり、それでもそれが主であるとわからない(園丁に見えてしまう)私たちの名を呼んでくださる、この出会いと交わりによって与えられるものなのです。ヨハネは「見て、信じた」と書いています。でも彼が他の弟子たちのいる家に帰って、「墓が空だったので、イエスはよみがえられた」と告げても、誰も信じなかったでしょう。ヨハネ福音書には、ペトロとヨハネが家に帰ったことだけが書かれています。ペトロとヨハネを含む弟子たちが、復活を信じることができるようになったのは、復活のイエスと出会ったマグダラのマリアの「わたしは主を見ました」という証言を聞いた時です。そして、弟子たちが家に閉じこもっていた時に、鍵のかかっていた家の中に復活のイエスが入ってこられて、彼らの中心に立ち「あなたがたに平和があるように」と呼びかけ、十字架で傷ついた手やわき腹をお見せになられた時でありました。

 

 不安と戸惑い、悲しみと絶望の淵の前にたたずむ人のところに、復活のイエスは来て下さり、呼びかけてくださいます。そのようにして、復活の主は、主の側から、淵の前にたたずむわたしたちの側に橋を渡してくださいます。この主との交わりによってわたしたちは、不安ととまどいを平安と確信に、悲しみと絶望を喜びと希望に変えていただき、復活の信仰へと招き入れられるのです。ともするとわたしたちの復活信仰は、ヨハネのように自分の理性で判断してしまうものです。そして、確信をもってそれを信じているわけではなく不完全なものです。復活の主は、そんなわたしたちの背後に立ってくださり(気づかないかもしれませんが)、わたしたちの名を呼んでくださるのです。

 

 わたしたちにとって、復活のイエスとの出会いの場はどこにあるでしょうか。思い返してみても、復活のイエスと出会ったこと、名を呼んでいただいたことなど、一度もないと思われるかもしれません。しかしわたしたちは、数知れずこのことを体験しているのです。復活の主との出会いの場とは、主の復活の出来事が起こった日曜日に行われるこの礼拝です。日曜の朝、わたしたちはいろいろな思いを持ってこの場にやってきます。ここでわたしたちは復活の主と出会い、その名を呼んでいただき、信じることのできないわたし、そして不完全なわたしに気づかされます。そのようにわたしたちの礼拝の中心に復活の主がお立ちくださり「あなたがたに平和があるように」と呼びかけてくださり、その傷を示してくださるのです。わたしたちは、この礼拝での復活の主との交わりの体験から、「わたしは主を見ました」との証言を持って出かけて行き、人々に「あなたがたに平和があるように」と呼びかけて主の復活の希望を伝えるのです。

2024. 3. 24 復活前第1(棕梠の主日)礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

イエスは、このぶどう酒を受け取ると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。                                    (ヨハネによる福音書19章30節)

 

  「十字架上のイエス」    深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

イエスは、このぶどう酒を受け取ると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。             (ヨハネによる福音書19章30節)

 

            「十字架上のイエス」      深見 祥弘

 2月14日(水)に始まった受難節(レント)も、今日が棕梠の主日、この日から受難週に入りました。

今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書19章16節から30節「十字架上のイエス」について書いています。イエスの十字架は、とても大切な出来事でありますから、四つの福音書、すなわちマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ福音書のいずれにも書かれています。しかしこの四福音書を読み比べてみると、福音書ごとに違いのあることに気づきます。今朝はヨハネによる福音書を読みますので、ヨハネ福音書と他の三つの福音書を比べ、異なる点に注目してみたいと思います。そこには、十字架の出来事をめぐってヨハネ福音書が伝えようとする恵みが浮き彫りになります。その違いは、四つあります。

 一つ目は、ローマ総督ポンテオ・ピラトの官邸からゴルゴタまで、誰が十字架を背負ったかということについてです。マタイ福音書には、「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。」(27:32)と書かれています。しかし、ヨハネ福音書を見てみると「イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる『されこうべの場所』、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。」(19:17)と書かれているのです。ヨハネ福音書は、四つの福音書の中で一番最後に書かれました。ヨハネ福音書の記者は、先に書かれた三つの福音書にキレネ人シモンが十字架を担いだとあることを知っていたにもかかわらず、イエス自らが十字架を背負ってゴルゴタに向ったと書いているのです。

 二つ目は、十字架に付けられた罪状書きについてです。マタイ福音書には、「イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王イエスである』と書いた罪状書きを掲げた。」(27:37)と書かれています。罪状書きはヘブライ語で書かれていて、これはマルコ・ルカ福音書も同じです。ところがヨハネ福音書には「イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていた。」(19:20)とあります。罪状書きが、ユダヤの言葉であるヘブライ語、公的な言葉であるラテン語、国際語であるギリシャ語で書いていたとしています。ゴルゴタは都の近くであったので、過越しの祭りで訪れた人々(各国に離散しているユダヤ人、外国人の改宗者など)が、この罪状書きを見たと言っているのです。このことに懸念した祭司長たちは、ピラトに「この男は『ユダヤ人の王』と自称したと書いてください。」と願いますが、ピラトはそれを認めませんでした。

 三つ目は、兵士たちがイエスの服を分けたことです。マタイ福音書は「彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い」(27:35)と書いていて、マルコ福音書もルカ福音書も同じです。対してヨハネ福音書は、服は四つに分けて各自に一つずつ渡るようにし、下着は一枚織りであったので、だれのものになるかをくじ引きで決めたと書いています。「それは、『彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた』という聖書の言葉が実現するためであった。」(19:24)この聖書の言葉とは、 詩編22編17~19節「犬どもがわたしを取り囲み  さいなむ者が群がってわたしを囲み  獅子のようにわたしの手足を砕く。骨が数えられる程になったわたしのからだを  彼らはさらしものにして眺め  わたしの着物を分け  衣を取ろうとしてくじを引く。」のことです。ヨハネ福音書は、この預言の実現を告げているのです。

 最後四つ目は、イエスのそばにいた人々についてです。マタイ福音書は「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、・・・同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。・・・一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを侮辱して言った。・・・大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。」(27:39~)と書いています。ところがヨハネ福音書は、祭司長たちの侮辱やののしりの記述はなく、「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、」と書いています。マタイ、マルコ、ルカ福音書では、十字架上のイエスの孤独が書かれていますし、さらには、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)とイエスが神との関係においても孤独であることが書かれています。ヨハネ福音書はというと、イエスが十字架上においても親しい人々と交わりの時を過ごしていたと書いているのです。イエスは、十字架上から母マリアに愛弟子ヨハネを示して「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」と言い、ヨハネに対して「見なさい。あなたの母です。」と言われました。 

 イエスが母に対して「婦人よ」と呼んだことで思い出すのは、カナの婚礼(ヨハネ福音書2章)の話です。祝宴の途中、ぶどう酒がなくなり、接待役をしていた母マリアが、イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と告げました。イエスは、母に「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と答えられました。イエスが言った「わたしの時」とは、まさにイエスが十字架に架けられる時のことでした。イエスは、十字架上で流す血によって、人々を神の国の祝宴において尽きることのない喜びで満たしてくださるのです。

 

 ヨハネ福音書と他の福音書との違いを見てきました。それによりヨハネ福音書の記者は、「十字架上のイエス」に何を見ていたかがわかります。 まずイエスは、その働きのはじめ(カナの婚礼)から父なる神がどのような救いの計画を立てておられるかをよく知っておられ、それにふさわしく行動をしてこられました。十字架の時が来ると、自ら進んで十字架を担ぎ、ゴルゴタに向いました。さらにイエスは、ユダヤ人の王であるばかりでなく、世界の人々の王であることを十字架上から告げ知らせ、その福音がゴルゴタから世界中に広がってゆくことを示しておられるのです。その十字架によってもたらされる福音(救いと喜び)とは、母マリアと愛弟子ヨハネに恵みとして与えられたこと、すなわち救われた者が主の家族とされ、互いに受け入れ愛し合うことなのです。

 

 説教題を「十字架上のイエス」といたしました。イエスは、自ら十字架を背負ってゴルゴタに向われたと学びました。マタイ福音書には、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(16:24)とあります。これまでイエスの十字架について学んできた私たちは、今度は自らの十字架について考えねばなりません。イエスが言われている「自分の十字架」とは何でしょうか。それは主の家族とされた人々が互いに受け入れ合い、愛し合うことです。また「自分の十字架」とは、イエスの十字架によって実現した救いの喜びを、世界中に拡げていくことでしょう。

 わたしたちは、イエスの十字架の恵みにより、今この時、わたしたちに委ねられた十字架を荷ってゆきましょう。

 「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは

安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いから

である。」(マタイ11:30)

2024. 3. 17 復活前第2主日礼拝
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 今 週 の 聖 句 >

ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。                   

(使徒言行録9章39節)

「アイネアという人、タビタという名の女弟子」

                   仁村 真司教師

< 今 週 の 聖 句 >

ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。                   

(使徒言行録9章39節)

「アイネアという人、タビタという名の女弟子」   仁村 真司

31節、「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」・・・。

「こうして・・・」というと、直前の「サウロの回心」、迫害者だったサウロ(パウロ)が「回心」して、教会に加わって、それに拠って、そうして「教会は・・・基礎が固まって発展し・・・」ということのようですが、どうもそういうことではないようです。原文(ギリシア語)では「こうして」ではなく「さて」、「さて、教会は・・・」となっています。

つまり31節はパウロが教会に加わって「そのようにして教会の基礎が固まり発展しました」という「サウロの回心」の話の結末、終わり、ここまでの「まとめ」ではなく、「基礎が固まり発展し、信者の数が増えていった教会が、それからどうして行ったのか、どうなって行ったのか」という次の新しい話、主題のはじまり、「オープニング」です。

  1)

「オープニング」に続いてぺトロによる二つの「癒しの奇跡物語」です。

この二つについて、よく言われるのがイエスによる癒しの奇跡物語と共通する所がある、ペトロはイエスと同じように癒しているということです。

一つ目、32節〜のアイネアという中風で八年間床についていた人の癒し―ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった(34節)―これについてはマルコ福音書2章3節〜

四人の男が中風の人を運んで来た。・・・(中略)・・・イエスがおられる辺り 

の屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスは

その人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と

言われた。・・・(中略)・・・「わたしはあなたに言う。起き上がり床を担いで

家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている

前を出て行った。

二つ目、36節〜のタビタという婦人の弟子を生き返らせる癒し―ペトロ 

が皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって「タビタ、起きなさ

い」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった一これについ

てはマルコ福音書5章40節〜

・・・イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけをつれて、子供

のいる所へ入って行かれた。そして子供の手を取って、「タリタ、クム」と

言われた。これは「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」いう意

味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になって

いたからである。

どうでしょうか・・・。イエスによる癒しと共通している所は確かにあります。イエスは皆を外に出し、「少女よ、・・・起きなさい」と言い、ペトロも皆を外に出し、「タビタ、起きなさい」と言って、生き返らせています。

ですが、共通しているのはこのような癒す際の言葉、所作だけと言って良いと思います。またぺトロがアイネアに言った「床を整えなさい」とイエスが中風の人に言った「床を担いで」、「整える」と「担ぐ」は全く別の行為です。共通しているのは癒された病いが中風ということぐらいです。

こういったことから、今日の箇所のペトロにまつわる二つの物語を、イエスによる癒しの物語との共通性からではなく、「独自性」 と言う程でもないのですが、特徴から見て行くことにします。

  2)

「ペトロがアイネアを癒した」・「タビタを生き返らせた」、この二つの物語の分かりやすい特徴は癒された、生き返らされた人の名前が伝えられているということです。癒された人、生き返らされた人の名前が伝えられている例は無い訳ではありませんが(例えばマルコ10章46節〜の盲人バルティマイ、ヨハネ11章38節〜のラザロ)、珍しいと思います。また、タビタについては「婦人の弟子」(原文は一語で「女弟子」)とありますが(36節)、この語が使われているのは新約聖書の中ではここだけです。

これらは元々癒しの奇跡物語ではなく、語り伝えられて行く内に伝説化して「聖ぺトロによる癒しの奇跡物語」となったのではないかと思います。

劇的な「サウロ(パウロ)の回心」の後の新しい話の冒頭が、これまた劇的な「ぺトロによる癒しの奇跡」になっているのは、使徒言行録が「ペトロたち使徒がはじめて、パウロが広く世界に伝えた」という図式で初期のキリスト教の歩みを捉え、伝えようとしているからだと思います。しかしまた、これまでの記述と同様に、今日の箇所からも「使徒からパウロへ」という図式では捉え切れないキリスト教・教会の歩みを考える上での重要な事実を窺い知ることが出来ます。

39節に「やもめたちは・・・ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々

の下着や上着を見せた」とあります。タビタさんは地域の女性たちと一緒に衣を作ったり作り方を教えたりしていたのでしょう。こういった働きがキリスト教の急速な広がりの大きな要因の一つになったと考えられます。

  3)

そして、32節の「ペトロは方々を巡り歩き・・・」というのは、伝道・宣教のためではありません。殆どが名前も何も伝わっていない人々の働きによって、使徒たちやパウロに拠らず、既に各地にイエス・キリストが伝えられ教会が出来ていた。それらの教会を視察して認可する、「お墨付き」を与え、同時に使徒の権威を示すためということです。

フィリポの働きにより多くの人々が洗礼を受けたと聞いて、ペトロはヨハネと共にサマリアに行きますが(8章14節〜)、それと同じ趣旨です。

サマリアに赴いた際には「本家本元」、使徒の権威を示すという予定通りの目的を果たしエルサレムに戻って行ったのですが、今日の箇所が伝えている出来事はペトロにとって全くの目的外・予定外だったはずです。

33節に「八年前から床についていたアイネアという人に会った」とありますが、これは初めて訪れたリダという所の教会で信者たちに頼まれて、アイネアさんの家に足を運んでお見舞いしたということだと思います。

また、ヤッファという所の弟子(信者)たちがリダにいるぺトロに「急いで来てください」と二人の人を送ったのは(38節)、本当はタビタが亡くなる前、重篤な状態にあった時で、ペトロが駆けつけた時にはもう既に亡くなっていて、人々が遺体を清めて階上の部屋に安置した(37節)後だったのではないかと思います。そこでぺトロはタビタのことを親しみを込めて「ドルカス、かもしかさん」と呼び、慕い、「かもしかさんが作ってくれたんです」と泣きながら、初対面のペトロに数々の下着や上着を見せる人たちの悲しみに寄り添うこととなった。そしてタビタという「女弟子」のこと、その為した働きの大きさを知り、ひざまづいて祈った(40節)。

各地の教会を使徒の権威の下に認可して教会組織の基礎を固める、それが当初のペトロの予定・目的でした。しかしアイネアという一人の病いとそれにまつわる苦しみにある人と関わることとなった。タビタという一人の女性の生前の働きを知り、またタビタを失って深い悲しみの中にある人たちと関わることとなった。

31節の「教会は⋯基礎が固まり」は直訳では「教会は・・・建てられ」、教会は神によって、イエス・キリストによって既に建てられていたということです。その教会において、人が、私たちがまず為すべきことが今日の箇所でペトロが期せずして為すこととなった働きに示されていると思います。

2024. 3. 10 復活前第3主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。

真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。

(ヨハネによる福音書18章37節)

 

   「イエスの裁判」        深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。

真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。

(ヨハネによる福音書18章37節)

 

            「イエスの裁判」        深見 祥弘

 何年か前に、私は裁判員としてその務めをいたしました。「裁判員制度」は、2009年5月から始まりましたが、法律の専門家である裁判官に加え、無作為に抽出された一般人によって裁判を行い、判決を出します。この裁判員制度は、市民の感覚を裁判に反映させようとの目的でなされています。

 私が裁判員の候補者となったとの知らせを受けた時、これを受けるか否かの判断に迫られました。制度上「やりたくないから」とか「忙しいから」といった理由でこれを拒むことはできません。私の場合は、キリスト教の法と世の法の狭間に立たされることもあるのではと考えました。裁判員となるまでは、どのような事件を担当するかを知ることができません。しかし裁判員裁判は、重大な刑事事件を担当しますので、裁判で検察から死刑が求刑される事件もありうるのです。私は、キリストの教えから死刑の判決をくだすことはできません。でも裁判は、裁判官と複数の裁判員の合議によって判決がくだされますから、死刑判決に加わる場合もあるのです。同時に私は、牧師である自分や教会の清さや正しさのために、そうしたことの外にいて関わりをもたないことが、キリストの教えであるのだろうかとも考えました。このような思い悩みの中で、私は裁判員の務めを果そうと決めたのでした。

 

 今朝のみ言葉は、ヨハネによる福音書18章28節~38節、イエスがローマ総督ポンテオ・ピラトより裁判を受けた時のことが書かれています。ゲッセマネの園で逮捕されたイエスは、大祭司カイアファの官邸に連行され、

まずカイアファのしゅうとであるアンナスから尋問を受け、続いてカイアファから尋問を受けました。アンナスは、「一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だ」と祭司長や長老たちに助言をしていました。11章47節以下に書かれている最高法院での議論を受けての発言です。イエスとイエスに反発する人々の対立が激化し、治安が乱れてローマが介入する事になれば多くの死傷者が出る。それならば、イエスを亡きものにするほうが良いとの考えでした。アンナスは形だけの質問(弟子のこと、教えのこと)をいたしました。イエスは、これまで皆が集まる会堂や神殿で公然と話してきたのに、なぜそれを聞いた人々に尋ねないのか、裁判の席なのに、そうしたことも行っていないのか、「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。」(18:23)と言われました。

 罪を見出すことができなかったにもかかわらず、アンナスの「一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だ」との言葉が、イエスに対する判決となりました。でもローマ帝国は、支配下にあるユダヤの国に死刑の権限を与えていません。そこで夜が明けるとユダヤ人たちは、イエスをローマ総督ポンテオ・ピラトのもとに連れていきました。そしてピラトは、イエスを総督官邸内の収容場所に入れたのでした。

 

 さてピラトは、官邸の外にいるユダヤ人たちと官邸の中に収監されているイエスの間を行ったり来たりします。通常ピラトは、官邸内に訴え出た者と訴えられた者の双方を座らせて取り調べをしていました。それがなんとも情けないピラトとなったのは、ユダヤ人が異邦人を汚れた者としてその家に入ることをせず、特にこの時はユダヤ教の過越祭の前で、人々が清さを意識していたからです。ユダヤ人たちは、自分たちの清さを守るために外に立っていたのです。

 ピラトは、ローマの委任によって立てられた総督であり、裁判官です。法という明確な基準によって治め、裁かなければなりません。しかしこの時のピラトは、自らが寄って立つ基準を失い右往左往する者でありました。裁判の間ピラトは、外に出てきてユダヤ人の訴えを聞き、中に入ってはイエスの言葉を聞き、途方に暮れることとなりました。

 ピラトは外に出てきて「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言うと、人々は「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と答えます。それならば、「自分たちの律法に従って裁け」と言うと、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と答えました。

 今度は官邸内に入り、イエスに「お前はユダヤ人の王なのか」と尋ねました。ピラトは、死刑にあたる罪を犯した者という訴えを聞いて、イエスがローマに対し謀反を企てる者ではないかと疑ったのです。イエスが「あなたは自分の考えで、そう言うのですか」と答えると、「お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか」と尋ねました。イエスは「わたしの国は、この世には属していない。」と言われると、ピラトは「それでは、やはり王なのか」と重ねて尋ねました。イエスは「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」と答えられました。

 ピラトは、再びユダヤ人たちのところに出てきて「わたしはあの男に何の罪も見出せない。ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか」と言うと人々は「その男ではない。バラバを」と大声で言い返したのでした。 

 ピラトは、自らに与えられている権限を用いこのように言えばよかったのです。「わたしはあの男に何の罪も見出せない。あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け。あなたたちには死刑にする権限を与えていない。イエスを殺すことはゆるされない。」しかしこの時ピラトは、保身のためにその権限を用いることができませんでした。実はこれまでピラトの後ろ盾となっていたセヤヌスがローマの政界において失脚し、ここで騒動が起これば、総督としてのピラトの地位も危うくなりかねない状況であったからです。

 

 イエスは「わたしの国は、この世に属していない」「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」と言われました。「真理」とは、イエスによってなされる神の救いの計画のことです。イエスは、真理の言葉を聞く者が、神の国に属するものであり、ピラトに対しても神の国に属する者となるようにと勧めています。しかし裁判の席でアンナスもカイアファも、そしてピラトも、イエスのもとに留まって、聞くことをしませんでした。ピラトは「真理とは何か」とイエスに問うたにもかかわらず、それを聞くことなく再びユダヤ人のところに出ていったのでした。

 

 初めに、裁判員となるか否かの判断を迫られた時のことをお話しました。

私は、キリストの教えと世の法の間を、右往左往することなく、キリストは法廷にもおられ、救いの福音と神の国への招きをしておられると信じて

その務めを果たすことにいたしました。真の清さは、イエスのおられるところにあります。イエスと共にあり、共に立つところに、それはあらわれるのです。ユダヤ人は自らの清さを保つため、外に立ちました。でもイエスは彼らの罪を荷ってピラトのもとに入り、「一人の人間が民のかわりに死ぬ」ことで罪を贖い、真の清さへと人々を招き入れてくださったのです。

2024. 3. 4 復活前第4主日礼拝
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< 今 週 の 聖 句 >

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。                   (ヨハネによる福音書12章3節)

 

 「香油の香りに満たされて」     深見 祥弘牧師

< 今 週 の 聖 句 >

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。                   (ヨハネによる福音書12章3節)

 

          「香油の香りに満たされて」     深見 祥弘

 ベタニア村のマルタ、マリア、ラザロの兄姉は、イエスと親しくしていました。以前、こんなことがありました。イエスと一行が彼らの家を訪れた時、姉のマルタはもてなしのために働き、妹マリアはイエスの足もとに座って話を聞いていました。マルタが「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(ルカ10:40)と言うと、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ10:41)とお答えになられました。また、こんなこともありました。兄弟ラザロが病気になり、マルタとマリアはイエスのところに使いを出しました。しかし、イエスが到着したとき、ラザロは墓に葬られた後でした。マルタとマリアは、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」(ヨハネ11:32)と言って泣きました。イエスもまた涙を流し、墓に行かれると、墓を塞ぐ石を取り除けさせ、「ラザロ、出て来なさい」(11:43)と大声で呼ばれました。すると、死んでいたラザロがよみがえり墓から出て来たのでした。

 

 ラザロのよみがえり後、イエスはベタニアを離れエフライムに滞在し、過越祭の六日前に、再びベタニアにもどって来られました。ヨハネ福音書では、この時イエスがマルタ、マリア、ラザロの家に入られたのか、マタイ・マルコ両福音書が書いているように重い皮膚病の人シモンの家に入られたのかわかりません。ここでは、マルタ、マリア、ラザロの家としてお話いたします。2節に「イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。」とあります。マルタは、先の訪問時と同じく、この時も給仕をしています。しかし、つぶやいてはいません。また、同じ2節には「ラザロは、イエスと共に食事の席についた人々の中にいた」とあります。ラザロは、マルタがつぶやいたあの時、姿を隠していました。次の訪問の時、ラザロは墓の中から出てきました。そして3度目のこの時、彼はイエスと共に食事の席についています。

 マリアはこのようでした。3節「そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香りでいっぱいになった。」マリアの奉仕は、客が訪れた時、僕が客の足を洗い手ぬぐいで拭く奉仕でありましたし、死者を葬る前に行う奉仕でもありました。

 

 マルタ、マリア、ラザロの3人は、ラザロを死者の中からよみがえらせていただいた感謝の思いのなかで、これらの奉仕をいたしました。特に心を留めさせられるのは、ラザロです。彼はイエスと共に食事の席につくことで、よみがえりを喜び、感謝をあらわしています。彼は何も語ってはいません。そこにいることで、イエスに仕えているのです。そして、そのようなラザロが、祭司長たちにとって脅威となりました。「イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。」(12:9)

 さらに3人の感謝と愛の奉仕は、この時の食事の奉仕に留まりません。彼らは、イエスの十字架と葬り、そして復活の業への奉仕を行いました。マリアは、人々が死者に香油を塗って葬りの備えをするように、この時イエスに香油を塗りました。イエスが死んで葬られ復活することで、ラザロのみならず、イエスを信じるすべての人が死者の中からよみがえり、神の国に迎え入れられ、イエスと共に食卓につくことができます。ですからこの時の、給仕するマルタと食卓にいるラザロの姿は、神の国の食卓を証しするものであったのです。

 

 感謝と愛に満たされている人々の中でイスカリオテのユダは、異なる思いを持っていました。ユダはマリアに「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」と言いました。「ナルドの香油 1リトラ 300デナリオン」の「ナルド」とは、サンスクリット語のナラダ(香しいの意)で、ヒマラヤ産の松香の根から採った香油です。1リトラは326g、300デナリオンはおよそ1年分の賃金にあたります。ユダがこう言ったのは、貧しい人を心にかけていたからではなく、イエス一行の金入れを預かりながら中身をごまかしていたからでありました。ユダは、マリアが惜しげもなく香油を注いだ時、内心、この香油を売れば、その金で使い込みを補うことができたのにと思っていました。「なぜ、・・・貧しい人々に施さなかったのか」と言ったのは、貧しい人への施しという徳を示すことによって自分の不正や不信仰を隠そうとしたのです。

 イエスは、ユダに「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」と言われました。イエスはユダにこのように言っているのです。あなたにはわからないのか、神の子でありながら最も貧しい者になろうとしているわたしのことが。わたしは十字架において死に、あなたたちと別れることになる。しかし、あなたたちが貧しい人と一緒にいるならば、最も貧しい者になるわたしと共にいることになる。「なぜ・・・貧しい人々に施さなかったのか」という今のあなたは、貧しい人々から遠く離れたところにあり、最も貧しい者になろうとするわたしからも離れようとしている。

 

 今朝のみ言葉は、私の信仰の遍歴をあらわすものだと思っています。私はかつてマルタのように、イエスを愛することで、イエスから愛していただけると思っていました。でも私は、私から見るならば愛するに価しないと思える人を、イエスが愛しておられるのを見てつぶやきました。次に私は、身を隠し滅びの淵に立つラザロのような私のところにイエスが来てくださり、十字架に架かって死に、3日目に復活されたことを知りました。イエスは私を滅びの淵から引き上げてくださったのです。それゆえ生涯イエスと共にいて、証しをしようと思います。また私は、マリアのように、イエスに感謝と愛をもってお仕えします。イエスの十字架と復活は、私がどれだけお仕えしても間に合わない愛の業であります。もはや私は、ユダのように、自分の罪や不信仰を隠すために、イエスや隣人を利用することをいたしません。

 

 イエスは、十字架と復活をもって、その愛を完成してくださいました。私は、イエス・キリストの愛の香りで満たされました。またキリストの愛に感謝して、私自身が、マルタ、マリア、ラザロのように、キリストを知るという香りを、今いるところに満たしてゆくことができればと願うものです。

 「神は、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという

知識の香りを漂わせてくださいます。・・・わたしたちはキリストに

よって神に献げられる良い香りです。・・・救われる者には命から命に

至らせる香りです。」         (Ⅱコリント2章14~16節)

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