今朝の主日礼拝は京都の世光教会より
榎本栄次先生が来られ、説教をしてくださいました。
本日の聖書の箇所は、誰もが知り聞き飽きたと思われるような
マタイ18章10節「迷える子羊」のたとえでした。
これでいつも連想してしまうのが、昔TVで見たアメリカアニメです。
たくさんのお皿を抱えた一人の主人公が一つの皿を落とさないために
他の全部の皿を割ってしまいます。
こんな不合理なことはないんですが、笑えるんです。
榎本先生も、「1匹の迷える羊のために99匹を犠牲にするようなことは
一般的正義感ではありえません。」と言われました。
「でもその羊が黄金の羊なら私も必死で探します。」とも言われたのです。
私も、自分が99匹の方なら、「一匹のために私たちをほったらかしにしないで」
というでしょう。
でも、自分が迷える一匹なら「見捨てないで」と叫ぶはずです。
自分が迷える子羊であるなら、必死で主を求めることこそ神様には
かけがえのない「黄金の羊」なのではないかと思いました。
ニッシー