皆さん、またまたご無沙汰してしまいました。時の経つのは早いもので、新年気分が抜けたと思ったらもう3月も中旬、冬と春の鬩ぎあいのなか徐々に春が席巻してきたのを肌で感じる今日この頃です。
教会歴では、2月18日(水)灰の水曜日から受難節に入っています。灰の水曜日からの40日間(日曜日を除く)が受難節として、主の十字架の苦難を覚えて粛々と日々を過ごす時とされています。しかしながら、私たちは日々の生活の中で「受験に合格した」とか「給料が上がった」などと一喜一憂する毎日で、主イエス・キリストの事はすっかり忘れてしまっている現実があります。ようやく、仕事で疲れた重い足を引きずり、教会へたどり着けば教会奉仕のノルマが待っています。なかなか主の平安の恵みに満たされて、教会を後にするというわけにもいかないのです。
福音書の記者は、主イエスの受難の記事をエルサレム入城から十字架まで時系列を追って記しています。それは一つのドラマのようであり、多くの舞台や映画でも描かれています。
今年の祈祷会は、「主イエスのゲッセマネの祈り」の箇所を北川博司牧師が、また「弟子の足を洗われる主」の箇所を深見祥弘牧師が説きあかしてくださいます。祈祷会は、一日の喧騒から解放されて心静かに主のみ言葉に触れることのできる場所であり、ひと時です。主イエスは弟子たちが誘惑に合わないように祈りなさいと言われました。
『いつものようにいつもの場所でいのるとき、私たちには夜明けが備えられています。』(3月8日主日説教より)
受難節は、まさにそのときにふさわしい期間だと思います。