先週、礼拝の説教の冒頭で、一つのエピソードを先生が紹介されました。
ある一人の高齢のの男性が、平日教会に来られました。袋にはあふれんばかりのしおりを抱えておられました。
男性が言われるには「年老いて主のご用になる何かをしたいと思い、手づくりのしおりを日本中の教会に配る仕事をしようと思い立ちました。皆さんに配ってください。」というお話でした。そのしおりを拝見すると、きれいな挿絵が書かれたもので、これは奥様がパソコンを使って作られたものだそうです。
私は最近、60歳の還暦を迎えました。漫然と齢をかさね過ごしていると、まだまだ人生半分すぎたぐらいのように思っているのですが、実際80歳まで命を与えられたとしても、すでに4分の3が過ぎてしまっているのです。このごろよく詩編の「瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。 」というみ聖句が、頭をよぎるのです。
ましてこれからの20年は、今までののように、できていたことをどんどん捨て去らなければならない20年であるのかもしれません。明治の救世軍で活動した山室軍平は路傍伝道で、人々に配る冊子がなくなると、自分の聖書を破り1枚1枚、道行く人に渡したそうです。聖書のみ言葉は神様そのものです。聖書のみ言葉が私たちのうちに宿るように、すなわちそれは主が私たちのうちに宿ることだと思います。
福音を述べ伝えること、それがキリスト者の仕事であると教えられました。主が与えてくださった残りの人生、主に問いつつ歩みたいと思います。