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執筆者の写真hachimankyoukai

2015年度シオン会例会



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 2015年度シオン会は、1年間、詩編を学ばれます。詩編のみ言葉は、人の喜び悲しみが神様へのストレートな声となって記されています。人の弱さ、罪深さが私たちにも伝わってきて共感できます。ブログでも学びの感想を載せていこうと思います。

 先日、ある委員会の中で、一人の女性が「最近、だんだん教会での親睦が希薄になりつつあるようで寂しい」と言われました。教会での信徒間の親睦とは、どういうものなのかということを考えさせられました。当然教会での集いは、町内会や会社の集まりとは違うのだろうと思います。日本基督教団信仰告白の中にあるように「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたるものの集いなり。」とあります。やはり集いの真ん中には主がおられなければならないし、共に祈りを合わせる会であることが大切なのでしょう。どんな和気あいあいとした集会であって、主をないがしろにしたものであれば、教会の交わりとは言えないと思うのです。聖書にある「宮清め」で主はこう言われています。『私の家は祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。』主がこんなに感情を顕にされたのはこの箇所だけです。この激高は神殿内で商売をしたからというのではなく、主をそっちのけにして祈りの場を汚したからではないでしょうか?今回の委員会での「教会の親睦」とはという問題からこのような考えが与えられ、今まで何故あんなに激高されたのか疑問だったところが理解できました。教会でのすべての集いは祈りの場であり集いの中で祈りを合わせアーメンと唱えたいものです。


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