12月24日(木)燭火礼拝
午後7時、教会のシンボルツリーの灯りが私たちを招き入れてくれました。
例年ならひとりひとりが手元においたキャンドルに、教会学校のこどもたちが光を燈してくれるのですが、今年はペンライトで代用しました。
牧師の説教題は「苦しみを喜びに代えてくださる御子イエス」・・・御子イエス・キリストの生誕が私たちに希望をもたらしてくださる夜でした。
説教のなかで引用されたニューヨーク大学リハビリテーション科に掲げられている言葉です。
「苦しみを担う者の信じるところ」
大事をなそうとして
力を与えて欲しいと神に祈ったのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱が与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人の称賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった
生を楽しもうと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを楽しめるように生命を授かった
求めたものはひとつとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
背ける身にもかかわらず
言い表せなかった祈りもすべて叶えられた
私はあらゆる人のなかで
最も豊かに祝福されたのだ
誰の言葉かは定かではないそうですが、ベトナム戦争で傷を負った兵士の言葉ではないかと言い伝えられているようです。
この日捧げられた献金は全額「近江八幡市社会福祉協議会」に捧げられます。
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