私たちの教会の教会員であり同志社大学神学部教授である小原 克博先生(同支社大学神学部長)より「あなたを奴隷の家から導き出した神―宗教はコロナ禍の現代人を救えるか」と題して礼拝のなかで説教、そして礼拝後にもお話をしていただきました。
一年余りのコロナ禍の中で人々や地域、そして社会全体がさまざまな制約を受けています。コロナが一日も早く収束して元の生活に戻りたいと誰もが願っています。私たちは、どこに戻るのか、あるいは別の行き先があるのかを「出エジプト記20章1~11節」「ヨハネによる福音書8章31~34節」の聖書の言葉を引用してお話をしてくださいました。
いずれの箇所にも「奴隷」という言葉が使われていて「奴隷」から解き放たれ「自由」にされることが主題になっていますが、まさに私たちもコロナから解放される日を待ち望んでいます。解放されるとき私たちはマスクをはずすだけでいいのか、ワクチンですべて解決するのか、元の生活に戻ることだけでいいのか、その場所がほんとうに私たちを解放する場所なのか、私たちがめざす場所、求める場所は、社会は、世界はどんなところなのだろうと考えることがいまこそ大切なことを示唆していただきました。
日本人=勤勉、働くことが美徳、休むのは怠慢とされてきた日本社会がいま休むことを余儀なくされています。この立ち止まっているときに考えるべきことがあることを聖書の言葉が語っているのです。
この一年、教会の礼拝のありかたもオンラインでの配信、礼拝のプログラムなどの工夫など変えざるを得ない状況で工夫しつつ礼拝を守ってきました。
日本では、宗教や信仰は人を不自由にすると考えられがちです。日曜日の礼拝を守り聖書を学び神を賛美し信仰を持つことがどれほど私たちの心と体を自由にし希望を持たせてくれることか・・・先生のお話をお聞きしながら思いました。
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