講壇に活けられた花もウクライナカラーです。
この日の説教は「神の武具を身に着けて」(エフェソの信徒への手紙 6章10~20節)と題して、使徒パウロがローマの獄中からエフェソの信徒たちに書いた手紙のなかから引用されました。パウロは、エフェソの信徒たちに苦しみを与えている「悪魔」(ディアボロス=引き離すという意味がある)に対して
真理の帯、正義の胸当て、平和の福音を告げるための履物、信仰の盾、救いの兜、霊の剣(神の言葉)これらの神の武具を身に着けるよう勧めています。
これらを身に着けることは、イエス・キリストによってなされる神の救いへの信仰をあらわしています。
また「どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」と書いています。
「祈りは無力か」との問いに、パウロは決して無力ではないことを表明しています。私たちが、イエス・キリストによる救いの計画を、神の恵みとして受け入れているならば、祈りによって促された神の偉大な力によって、神の救いを見ることができるのです。
説教の最後にウクライナ讃美歌「ウクライナへの祈り」2番の歌詞が紹介されました。この讃美歌は、ウクライナの精神的国家と言われるものです。
「全能なる主よ 我らは祈る/ 我らのウクライナを守り給え/
我らの民 我らの祖国を救い給え / そなたの慈愛で/
自由と知恵を恵み給え/ 我らを善き世界へ導き給え/
主よ 民に与え給え/ 永遠に 永遠に 」
ウクライナへの祈りを込めて、この日の礼拝のときを守りました。
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